今日の雑感

見えない鎖をとかす日。

自分を縛るさまざまなもの。一般常識、その場の空気、社会のムード、myルール、暗黙の了解......。

それらが自分の生きやすさ、生き心地にプラスに働いてくれるものなら継続。

そうでないものは、必要なだけ窮屈なその枠を「今、ここ」で消去。

自分の魂がよろこぶ軸にしたがおう。

 

HOSHINO KOTOBAより

 

自由について考えてみたときに、この自粛要請を”従うべきもの”としてはいけないと思った。

STAY HOMEが、状況をよく働かせるあり方だと思うのなら、

自主的に、それを選ぼうと思う。

わたしは、不要不急の外出を控えたい。だからSTAY HOMEする。

 

強いられたものとすると、圧力に従わされていることによる窮屈さや、

苛立ち、不満が発生する気がする。

 

STAY HOMEが、絶対的にこの状況下で正しいというのは本当だろうか?

コロナは風邪と大差がないが、盛大に恐れさせることにより、

コロナのワクチンを人々が待望することとなり、

ありがたいそのワクチンとは有毒なものであり、

そうして世界の人口を大幅に削減するためのこれはプロジェクトなのだ、とある人たちは言っている。

それは本当のことだろうか?

 

真実を外側の世界に求めようと動くことも大事だろうけれど、

自分にとっての真実か否かを、わが有能なセンサーに尋ねることも大事だろう。

 

肉を食べるなという人もいれば、長寿の秘訣はお肉を食べることという人もいる。

 

どちらかが正しくどちらかが間違っているということではなく、

人によって、フィットするものが違うということだろう。

 

社会や偉いとされる人の意見、発想が、必ずしも自分を生きやすくするとはかぎらない。

人に迷惑をかけても居心地がいい人というのはそう多くないだろうと思うとき、

したがうべきは、内なる自分の声でいいのでは?

 

上から与えられたルールに従順なことを「正解」とされてきたわたしたちは、

自動的に「正解」を求め、「正解」は外側にあると発想する回路を埋め込まれている。

その与えられた回路が自分を生きづらくするのなら、

一度のこの人生、自分の生きやすさのために、自分なりの規範を構築したいと思う。

 


雑感雑記

ぼくの好きなキョンキョンが賛否両論の声にさらされている。

政治的な発言を芸能人がすることはおかしいという声については、

政治って、みんなのものというか、みんなで関心をもつことがニュートラルなのでは? ということを思う。

芸能人も国民のひとり。

国家のために個人があるのではなくて、個人の集合体で国家となるわけで。

その国家を運営することを政治というのなら、誰もが意見をもつ権利がある。

 

キョンキョンって、アイドルがトイレに行かないスーパーファンタジックな存在であった時代に、

自分の意思で髪を短く切り、「アイドルをやる」という新しいアイドル像というか、

アイドルという意味や枠を壊したのか拡張したのか、とにかく革新をもたらせた人とされている。

 

不倫を認める会見などを開いたのもまた、彼女の革新性だったと思う。

社会的な過ちを認めることで、わたしもその程度の人間なんです、みたいにして、

人々の”憧れ”という偶像を自らの手で壊そうと行なったことなのではないかとぼくは思う。

 

実際はわからないけど、「そんな私を認めてください。それでも愛して、応援してください」。

なんてことは、彼女はそこまで思っていなかったんじゃないかな。

さんざん、30年以上も憧れの対象という立場を担ってきたけれど、

人生は、わたし自身のものでもあるので、わたしはここらでその荷を下ろします。

じょじょに、おりていきます。

そういう宣誓みたいなものであったのではないかな、と想像。

そうして、裏方としてエンターテインメントに携わるという、彼女の念願ロードへと歩を進めた。

そんな過程を経ての今回の政治的発言なのだと思う。

 

状況的に、本気で声をあげていかないとまずい! という危機感からの発信なのだと思うけど、

意識的なのか否かはひとまず、

芸能人が政治についての意見を公にするというちょっとしたムーブメントに思うこととして、

これからの時代の芸能人は、そのように、意見を発信することからイメージの構築・再構築をし、

イメージと実際を一致させていくことがトレンドになるのかもと思った。

トレンドというと一過性みたいな言葉だけど、そのトレンドは、

今生きている人が全員死んでいるくらいの人間的には長いスパンでの流れとなりそう。

(占星術的に、今年の年末から時代が「土」から「風」へと変わる。風時代は200年近くつづく)

 

テレビがコロナの影響でリモート出演や再放送がメインとなり、

それはつまり、テレビがYouTube化しているとも言えますが、

これを機に、テレビのYouTube化が進んでいくとしたら、

これまでの芸能人の「イメージ商売」的な側面は、すたれていく気がする。

YouTubeというメディアは、なんというかみんな体を張っている印象。

物理的な肉体ということだけではなくて、たとえば自宅で自分で録画し編集してアップするとか、

自分の考えや感じていることや、特性をフル活用していて、

そこではテレビ的な、強い言葉で言えば「嘘」はお呼びじゃない感じがする。

 

人間って、嘘をかぎわけたい生き物のように思う。

これだけ「騙されないように気をつけて」みたいなことが浸透している昨今は、

とくに嘘に敏感というか、「この人は真実を語っているか」みたいなことに、

意識的、無意識的にすごいエネルギーを注いでいる気がする。

 

インターネットが大発達して、

これまでは埋もれてしまっていた小さい意見、少数派のメッセージも、

それが人々の潜在的なニーズに適うものならば、一気に広がるようになった。

そして、みんなが盲信していたテレビや新聞という大メディアが、

実は必ずしも真実を伝えていないこと、あり方が誠実でないことを多くの人が知ることとなった。

 

「テレビや新聞がいっている」というフレーズの意味は、

この10年くらいで180度変わってしまったような感覚がある。

かつては、「テレビや新聞がいっているのだから本当」だったけれど、

今や、「テレビや新聞がいっているのだから怪しいけどね」となった。

今後、そうした傾向にますます拍車がかかるのは間違いないだろうと思う。

 

そんな求心力を失うフェーズにあるテレビなどを主な職場とする芸能人たちのこれからは、

いわゆる二極化をしていく気がする。

一方は、オールドスタイルのまま、分厚い仮面をつけて、かりそめの姿で生き抜く。

このスタイルの極値は、ショップチャンネルでの売り子さん。

そしてもう一方は、今回賛否を起こしている自分の意見を表現するあり方。

 

そう思うとき、キョンキョンは、

もっかの騒動の一番手として名を連ねられることを承知で、

ものすごいリスクをわかっていて、newスタイルへの口火を切った先駆者。

アイドルが自我をもつということの延長線上に、今回のあり方もあるのだろうと思った。

 

彼女にかぎらず個人的な思想の発信をする芸能人の、その意見がどうこうはひとまず、

個人的には、その人の本音みたいなことが飛び交うメディアになったとしたら、

テレビをまだまだ見続けるだろうな、と思う。

 

ショップチャンネル的ないわゆる芸能人トークも嫌いじゃないけど、

それをずっと見ているほど、ぼくも、世の中の人も暇ではなくなってしまった気がする。


4冊目

 

だって、この表紙ですよ。こんなにかっこいいカバーがありますでしょうか。

白と黒。そうしてタイトルは「white room」。文字の入り方やフォントもすてき!

 

この本のことは、Instagramの投稿をそのまま掲載してみようと思う。以下。

 

この本の前に、同じ被写体と写真家によるananのグラビア写真がある。

1991年、15歳のぼくは全力で自分を殺そうとしていた。

同性に欲情している自分をどうにかして亡き者にしなくてはと毎日苦闘していた。

だけど、あのモッくんのヌードが近所のコンビニで買えてしまうことには抗えず、震えながらananを手にレジへ向かった。

あんなに緊張して興奮したことはそれまでなかった。

この写真集はそれから数年後にどこかのブックオフで買った。駆けるように車に戻り、運転席ですぐに開いた。

 

人生で一番見ている写真集は間違いなくこれです。

いつの時代のぼくも、コンプリートされたこの世界に心が動く。

今回紹介するにあたり検索し、

篠山紀信さんによる一連のヌード写真集は「アクシデントシリーズ」と命名されていたと知り、合点。

少なくともぼくの人生において、この写真集との出会いはアクシデントみたいなものだった。

どうしても覗きたい世界だったし、覗きたい自分を本当は殺したくないんだと何度も気がつかせてくれた。

 

デジタル世界にはいくらでも刺激的なものがあるけど、

鼓動激しくページをめくる経験、文化は継承されてほしいなと思う。

「世の中に衝撃(アクシデント)を! 」という野心、遊び心が自分にも存在することをこの本はたびたび思い出させてくれる。

 

自分がゲイだということを受け入れられず、

怖くて、恐ろしくて、日記にもそのことを書けなかったぼくにとって、

ananを買うことや、男性のヌード写真集を買うことは、

それこそ、清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気が必要な行為だった。

逆に言えば、この作品が、ぼくを清水の舞台から飛び降りさせてくれた。

それほどの力、それほどの魅力があった。

ifはないけれど、もしこの作品に出会わなければ、ぼくは死んでいた可能性もあると思う。

一生自分のセクシュアリティという変えようのないものに蓋をして、抑圧をして、

自分に追い詰められて死んでいたかもしれない。

 

心より篠山先生と本木雅弘さんをはじめ、制作された方々に感謝をしています。

 

去年末、長年お世話になりまくっている光文社Tさんより話をいただき、

瀬戸内寂聴さんと宮沢りえさんの対談の構成をすることになった。

京都の寂庵での対談は、その撮影を篠山紀信さんがされた。

待ち時間にTさんが篠山先生に「彼は絵を描いているんですよ」と伝えてくれたことから、

「絵をやってるの? 写真ならもっと簡単なのに。ふふふ」みたいな感じに先生は言い、

実は、ぼくは先生が卒業された写真学校に通っていたんです、

昔に撮られた本木雅弘さんの写真集はぼくの宝物です!

みたいなことを、なんと本人に伝えることができた。

躊躇したけど、こんなチャンスは二度とないかもと勇気をだして告げてみた。

先生は、「いい写真集よね」みたいなことを言っていた。

ぼくは全力で「はい! めちゃくちゃすばらしいです!」と言った。

 

人生って、ほんとにいろんなことが起こる。

ぼくの経験上、ちょっとした勇気をだすことで、さらにすばらしいことが起きるように思う。

勇気の経験は積み重なり、次回はより足を一歩前へだすことが楽になるように思う。

 

もっといえば、「おくりびと」の時に、本木雅弘さんのインタビューをさせてもらったこともある。

そのときのぼくは今よりも恐れがさらに強かったので、

本人はすごく気さくというか、威圧感がなく、

「みなさんはおいくつなんですか?」なんて、あちらからまず尋ねてくれるような人だったけれど、

ぼくは、言えなかった。あなたのヌード写真集に自分を生きる道がひらけました、と。

 

すこし前に、TVで放送された本木雅弘さんのドキュメンタリーを見て、

モッくんのことを、以前よりも知った気持ちになった。

ぼくの中で感じた人物像としては、ものすごい強い自我と一生向き合う求道者みたいな印象。

そうして、ふたたび写真集を見ると、

写真集の魅力は、被写体である彼の外見的な美しさはもちろん、

内面の自信のなさというか、葛藤という影が美しさの深みを増しているのだと感じた。

 

都会的な衣服を脱ぎ捨て、強い日差しの”楽園”で裸になる。

今できるかぎりのいっさいを写真家に、世間にさらす。

そうした抑圧からの解放という”ストーリー”に、

当時も今もぼくは魅せられつづけているのかもしれないと思った。

 

生きている間に一冊でいいから、ぼくもこういう写真集をつくってみたいなー。

もし今の時代にこのような企画で写真集をつくるなら、誰が被写体に適切だろう?

そんなことをここのところ妄想している。

目下は、よく本人を知らないけれど、見た目や雰囲気から、横浜流星くんに一票!

 

あらためて思うけれど、

美しさには、影がつきものなのかもしれない。

その影は、本人をずっと苦しめるかもしれないが、その苦しみこそが光なのだろう。


3冊目

 

この本は、30代の後半くらいに買って、夢中になり、

絶対に好きなはず! と思う友人に、押し付けるようにして貸して何年もたち、

タイトルさえ忘れたけれど、ずっと脳裏のどこかにキープされていた一冊。

 

たしか「四」と「風」が入っていたはず、と検索し、

この度、ブックカバーチャレンジのために再購入してみた。

 

気力がないのか、冒頭から読み直すことはできず、

パっと開いたところから気が済むまで読んでは、また別のところから読むという、

たいへん変則的な読み方をして、まだ全体の10分の1くらいしか再読できていないけど、

やっぱりこの本はおもしろい。

というか、すごく好き。

 

巨大な詩みたいで、

抽象的、ファンタジックな言葉が散りばめられていて、

大人のおとぎ話みたいな感じ。

よくわからないけどわかる。無意識に働きかけているような感覚がある。

現実的なことを抽象的に捉えたい節があるように思う自分には、本当にフィットする。

絶対万人受けはしないだろうけど、好きな人にはたまらないはず。

 

この本に関して、いろいろと書きたいことはあるんだけど、

なにが書きたいのかがわからない。

とにかく7冊の1冊に選びたいほどに、ぼくにとってはすばらしく魅力的な小説だということは間違いない。

 


生きていることを祝うみたいな磁場

 

ステイホーム期間は、なんらかの勉強をしたりして、もう少し社会のことを知ろう。

自分の小さすぎる世界にいつづけるのではなくて、そのコンフォートゾーンを広げよう!

そんな野心があったけれど、ぜんぜんできない。

 

ごくささやかなことをできたらそれで御の字、というくらい、

毎日、基本的にどこかがボーっとしている。なにもしないうちに夜がくる(そもそも起きるのが遅い)。

 

相変わらず寝るのが大好きだけれど、風呂タイムもとても好きで、

風呂では、このごろはYouTubeで音楽を聴くことがほとんど。

 

最近、ふとクリックし、一気に吸い込まれてしまったのがこの動画。

あまりにもすごくって、以降こればっかり流している。

うまく言葉にできないけど、眠っていた血が騒ぐような感じがする。

わーーー! と、どこかが叫び踊りだしてしまう。

その祝祭みたいな磁場は、動画からも伝わり、

なんだか、とても嬉しくなってしまった。

 

自分でもおもしろく観たのだけど、

ぼくは、こういう刺激を受けるとうれしくなるみたい。

よーし! みたいに背筋が伸びるというか、気合いが入るというか、地に足がつくというか、

とにかく、やる気になる。

 

そして、自分をやる気にさせるものが存在していることが嬉しいし、

たとえば絵とか文とか、なんのためにかいているかわからない自分のこの日々を、

肯定的にとらえられる自分が強まる。

ぼくが音楽や映画に、よーし! ってするように、

ぼくの行動みたいなものに、よーし、って1ミリでもなる人が、いるかもしれない。

というか、自分はこうしたものに生きる意味というか熱をもらうのだから、

それを放とうとする以外に生きる道はないよな、ってな諦観めいたものがやってくる。

誰にとっても意味などはなくても、自分にだけは意味がある。

 

とにもかくにも、中村佳穂さんのこのライブ動画すばらしいです。


2冊目

 

うちは、いわゆる平凡な家だったなってよく思う。

実は普通も平凡もないとは思うけど、でも言葉は存在するから、

そのように考えたり、事象をその言葉にあてはめてしまう回路はある。

 

父は会社員で母は専業主婦で、三人兄弟で、

家は大きくも小さくもない二階建てで、

お金持ちでも貧しくもないような暮らしで、

大自然でも都会でもなく、コンビニまでは歩いて10分はかからないくらいのまあまあの田舎に育った。

そこに特殊なものはないように思ってしまう。

ただ、あとから考えて、唯一変わっていたかもなと思うのは、

母がぼくたち兄弟を絵本やら児童書やらの読み聞かせで寝かしつけていたことだ、しかも毎晩。

 

兄とぼくは並んで布団をしき、布団の中で目をつぶったりしながら、

母の朗読を聞いて、もっと読んでとか時にせがんで、そうして眠りについていた期間が、

何年間だったのかはよくわからない。

 

その後、テレビやら音楽やら映画やらいろんな娯楽をおぼえていくが、

気がついたら手にしていた的原初のエンタメはまちがいなく絵本の世界。絵本的世界。

 

今でも絵本の内容というよりは、

たとえば聞きながらひたっていた想像世界の空気みたいなものをふいに思い出すことがある。

というか、なにが絵本のことで、なにが実際のことだったかはもはや区別ができない。

まざりあって、ひとつの記憶みたいになってしまっている。

 

大人になるにつれ絵本のことなどどうでもよくなっていったけれど、

20代の後半になり、自分の中には今でもあの頃の自分がいる、あの頃みたいな感性が存在していると気がつき、

いくつかの絵本を買いなおした(正確には初めて買った)。

 

本を7冊紹介するにあたり、

良くも悪くも自分の感性の骨格みたいなものとなってしまっている絵本世界は外せないと思った。

そうして選んだのが『おおきな きが ほしい』。

 

この本にでてくる、主人公の男の子の理想の家? 部屋? アトリエ? は、

そのままぼくの理想になっている。

子どもの頃からその憧れははじまり、母に「この木を植えてほしい」とたしかお願いをした。

庭にあった白樺の木が、いつか大きくなってそこにこうした小屋をつくる想像をよくした。

 

いま、わが家は大きな木の下にある。

引き寄せてしまったみたい。


ナインティーズ

 

最近、なんだかマッキーのことを思い出したりして音楽を聴いたりもして、

先日のお風呂YouTubeタイムで出会ったこの動画がすごく好きだった。

 

間奏中に袖で汗をぬぐうところ、いいなあ。

衣装と髪型と左耳のピアスと若い肌と体型と、

流行を意識していそうなサウンドと、

ダンスというか振りと、

ぜんぶで90年代! って感じ。好き。

 

否。90年代が好きというよりは、自分自身の当時の世界を今の自分が懐かしく思っている、

そのノスタルジアが好きなんでしょうね。

 

このセットとか雰囲気から、これミュージックステーションにちがいない、と思ったら、

やはりMステだった。

金曜の夜、母の夕飯を食べ終わり満腹でゴロゴロTVを見ていたあのスモールワールドが懐かしい。


ブックカバーチャレンジ

 

最近流行っているバトン。ぼくのところにもいくつか回ってきたけれど、

回してくれた気持ちに応えたいし、思い出してくれてありがたいし、

人に回すのって少なからず勇気みたいなものがいるよな、と思うけれど、

なかなか気力がわかず、できていない。

ただ、本の紹介をするという「ブックカバーチャレンジ」というものは、ぜひやりたいと思った。

 

こういうことでもなければ、本の紹介なんてなかなかする機会がないし(勝手にすればいいだけだけど)、

でも、本というものが、やはりとても好きだし、

誰かと共有、わかちあいできたら嬉しいな、とも思うので、

先日より投稿を始めた。

 

1冊目はこの本。本といえばぼくの中では、まず「言葉」がセットで浮かぶ。

写真集や画集みたいに言葉が一切ないものも「本」だけれど、

ぼくの中では、やはり言葉がほしい。

左脳的というのか、言語で理解をしたいという思いが強いタイプなのだと自己分析。

 

と、考えると、本の紹介の最初は、ことばの紹介みたいなものの本がいいな、と思った。

この『にほんご』は実家の本棚からもってきて自分のものとしてしまった。

この真面目そうな表紙からは想像できないくらい、中は自由。

 

言葉というある意味不自由な束縛の世界にわたしたちはありますが、

でも、その枠の中では自由です。

不自由だから自由です。

不自由の自由をどこまでたのしめるかがこの世界なんですよ。

 

この本の作者として名を連ねる4人の大人は、

そんなメッセージを本に込めたんじゃなかろうか、と、

おそらく当時の作者たちくらいの年齢になった今日のぼくは思う。


DVD週間完了

 

4本目は「バスキア、10代最後のとき」というドキュメンタリー。

バスキアには自分が絵を描くようになってから興味をもちだした。

バスキアのフィクション映画は学生時代に「つまらない」と星2つみたいな感じに採点していたが、

近年見返したら、すごく好きで、サントラさえ注文し、

今年、レンタルDVDショップ閉店にともない大セールという、

ぼくの大好物的宝探しがたまたま訪れたそこでやっていて、

その日、最初に手にし購入したのがその「バスキア」だった。

 

ふと、まだ閉店していなかったりするかな?

と店に電話をしてみたら電話はつながり、引き続き大セールをしているとのこと。

レンタルショップにはないものがあるかもとすぐに出かけたら、

DVDは全部100円。

CDは10円。シングルCDは1円で売られてた。1円って。

 

億万長者状態というか、その価格ならなんでも買えるぞ、と喜んだが、

それ以上に、物を増やすことの抵抗が勝り、スーパー吟味し、散財してきた。2000円弱。

 

さて、バスキアのドキュメンタリーは、moodって感じだった。

ここまでの3本が奇跡的に響いたことを考えると、今回の5本はおそらく、

こんにちのぼくにとってどれもライトタイムな作品なのだ。

そう捉えて、バスキアのドキュメンタリーを評すると、「今知っておくべきmood」って感じ。

 

70年代終わりのカオスからのニューウェーブみたいな空気が、

映画からびしびし伝わり、それはぼくらがこれから遭遇するほどのnewではないかもしれないけれど、

当時も、「破壊と再生」が行われたような感じがした。

 

40年ほど経ち、傍観者的に「そういう時代もあったのね。大変そうだけど楽しそう」と

2020年のぼくが感じたように、コロナからの新時代は、

後の世からみたら、「すっごい面白そう! ソークール!」ってことなのかもしれない。

 

思うに、これまでの”あたりまえ”にこだわらなければ、やってくる時代は面白いものとなる気がする。

「昔はこうだったのに」というモードで世界をみると、郷愁で気がへんになってしまうかもしれないと思う。

まだ、わからないけれどね。なんとなくそう感じている。

 

5本目は「ホームレス中学生」。

雑誌の映画特集を立ち読みしたときに柄本佑さんが紹介していて、気になった。

今回のツタヤでふとそれを思い出し、こういう民放ゴールデンタイムに放送されそうな映画は苦手だけど、

なんだか柄本佑を信じてみようと借りた。

 

ミッチーは、あんまり、って感じだったみたいだけど、ぼくはよかった。

中盤くらいから、ずっと泣きたい感じになって、幾度か涙がこぼれた。

メジャー邦画にありがちなテレビドラマ的な臭さにしらけてしまう部分もあったけど、

でも、自分のものすごくやわらかい部分を揺らしてくれて、

観終わったあと、ちょっとボーとしてしまった。

子どもの頃に大泣きしたあとのような感じだった。

 

今朝布団の中で、映画が連れていってくれたやわらかポイントを再訪すると、

ずっとどこかで信じきれなかった、「ぼくは両親に愛されて育った」ということを確信できた。

実はずっと、「愛されていることがわかるから甘えることができていたのだ」と気がついた。

そしてその経験は、誰にも等しく与えられているものではおそらくなく、

ぼくが、この人生で、与えてもらえたとてつもない財産なのだとわかった。

 

外側の世界はいつもどおりだけど、

愛されていた。今も愛されている。

そのことを思い浮かべると、ありがたくて切なくて甘くて苦くて、どう言葉にすることもできない、

あたたかいなにかが全身に行き渡る。


いい映画

良し悪しの良いじゃなくて、いい映画。

いい映画を観たなあ、と思っている今週。

3本とも好きだった。

 

初めての個展のときに、展示場であるギャラリーというかカフェというかなんというか、

まあ、サロンということにしておきますと、

そのサロンの主・森田大剛さんのはからいで、角田純さんという画家の方とトークすることになりまして。

ぼくは角田さんの画集が、人生で初めて買った画集であり、

年齢はひとまわりくらい違うけど、なんと角田さんとは同じ誕生日で、

これぞご縁だなあ、と感慨深かったのですが。

 

最近、SNSで本を7days紹介するって企画が流行していますが、

ぼくのところにもほぼ同時におふたりがバトンをまわしてくれて、

わざわざ、メッセージやら電話で「まわしていいですか?」などと尋ねてくれて、

てっきり、そういうものって投稿を通じてバトンしているものと思っていたわたしは、

超びっくりした。なんとご丁寧に! と感動したのですが、

なにが書きたかったかというと、

そう、そのバトンを引き受けてからもう1週間以上たっているのですが、

ずっと、なんの本にしようかな、ってのを思い巡らせていて、

絶対に外せない何冊かはあるのだけど、

これも紹介したいかも、って浮上してくるものもあり、ずっと決めかねている。

それからバトンをまわす人も、いろいろ顔が浮かび、決めかねている。

せっかくだったらぼくも電話などをして、「元気にしてるー?」ってバトンしたい。

 

そう、角田さん。

きのう、角田さんの画集を1冊に加えたいかも、って思ったのだった。

そして、角田さんとトークした日のことを思い出して、

あらためて、なんと自分は恵まれているのだろうと感謝をした。

 

だって、すごくすてきな絵を描く方に、初個展で絵をみていただけ、

さらには、トークまでさせてもらえたのだ。

角田さんはすごくって、30点くらいの絵をぜんぶみてくれて、

そのとても抽象的で、自分でもなにを描いているのかわからない絵から、

ぼくのことを、ぼく以上に言葉にしてくれた。

 

憶えている言葉はいくつもある。ずっと大事にしていて、励みにしている。

その角田さんに、「いい絵ってどういう絵ですか?」と聞いたら、角田さんはたしか、

僕にとってのいい絵は、ずっと観ていたくなる絵。というようなことを言った。

 

以後、絵を鑑賞する際は、いつもその言葉がよぎる。

そして、「わかる」って思うようになった。

自分にとってのいい絵は、ずっと観ていられる。あきない。

自分の描いた絵にも、ずっと観ていられるものがある。この絵のこと好きなんだなー、って思う。

 

話はやっと本題というか、なにをそもそも書きたかったのかにたどりつきましたが、

そう、今週の”いい映画”は観ていて、ずーっと観ていたいって思ったのだった。

その世界にひたっていたかった。

いい映画ってのも、ずっと観ていたいのかもしれないな。

 

さて残りは2本。今日までの3本と違い、ひとつはドキュメンタリー、ひとつは邦画なのであります。

どんな世界を味わえるのか、たのしみたのしみ。

 

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21493 美術手帖の記事

 

びっくり。

 

いま、角田さんのHPがあれば勝手にリンクを貼ろうと思って検索したら、

HPはなさそうだったけど、最近のインタビューの記事があった。

 

読んだらなんと、「バグダット・カフェ」のポスターをデザインされていたとのこと。角田さんが!

さらに、学生時代に崇拝した小沢健二のCDのジャケットも角田さんが手がけていたらしい。なんと。

 

ああ、驚いた。つながっている。実につながっている。

 

角田さんのインタビューを読んで、画面をとおしてその絵にふれたら、

久しぶりに絵を描きたくなった! 

ありがとうございます。


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