今日の予報

目に見えない領域を耕す。

そんな言葉がふってきました。

目に見えないどこかは、耕されることを待っているのかもしれません。

 

目に見えない場所を、どうして耕すことができるのでしょうか。

それは、意識を向けるということなのだろうと思う。

 

目に見える現象とセットに、目に見えないどこかにも写し鏡のようになにかしらが起こっている。

たとえば、燃え盛る火を前にして自分のどこかに、それを怖いと感じるエネルギー、

あるいは、血がたぎるようなうねり、

そのように、どこかが必ず動いている。

 

そう考えてみるだけで、目に見えないどこかがうっすらと脳裏に見えてくる気がしませんか。

 

耕すという行為は、クワか何かで土に連続的にエネルギーを注ぎ、攪拌するようなもの。

奥が前へ、前が奥へ、まじりあう。

 

自分が「こう」と思っていた枠に気がつけば、その枠を壊すことができる。

枠が壊れるとき、おそらくさらに大きな枠が生まれる。

肉体をもって生きている以上、枠そのものから完全に自由になることはできないのかもしれない。

自由とは、不自由の中にあるのかもしれない。

 

だとしたら、不自由を嘆くのではなく、不自由をあそぶ。

不自由だからこその自由なのだと、その見えざる表裏をありがたがってみる。

 

ごくささやかなことひとつでも、きのうまでの自分から意識的に脱皮してみると、

現実世界は、思いの外おおきく動くかもしれません。

 


遊びをへて

ひさしぶりの友だちとの時間。

ひとり帰り電車に揺られながら、内側に、パンクみたいな、ロックというのか、

アングラ演劇なのか、そういう、大きなものへのアンチ!的な熱がふつふつとしている自分に気がつく。

なにかかましてやりたい、みたいなエネルギー。

 

ああ、ぼくにもそういう部分があったのか。そうか、だったら、その自分もだしたいな、なにをしよう。

などと強めの曲を耳に、さらに気分を盛り上げながら思って帰って風呂に入って寝て起きたら、

すっかり自分からそういう気分が去っていた、台風通過的。

 

もしかして、ひょっとして、そういうことか。

彼女といっしょにいたことで、ぼくの中にあった小さい熱が彼女の強い熱に反応、共振し、

おおきく引き伸ばされていたのかもしれない。

ともに過ごす人のもつ強い部分に自分のそれが感化され、拡大されていたのかもしれない。

 

誰といるか、は、どんな自分といるかということ。

誰といたいか、は、どんな自分といたいかということ。

 

 


今日の予報

今日の予報という言葉がふいにやってきた。

そして、予報の方法もやってきた。

占星術の星座と天体のくみあわせから浮かぶことを書いてみなさいな、そういうヒントがやってきた。

 

 

 

本日9月7日の予報です。

 

コミュニケーションのあり方をあたらしくしてみるとよいでしょう。

あたらしいってなに? とお思いの方、

そのnewはあなたの中にあります、外からもってくることはありません。

 

あたらしい言葉をおろしてみるのはどうでしょう。

いつもは、瞬間的に浮かんだ言葉を即座に口にだしているのなら、ひと呼吸おいてみる。

あるいは、熟考しがちな人は、浮かんだ言葉をそのまま放ってみること。

そうして、言葉を発したあとに生じる自分の感情を、波紋を観察するみたいにとらえてみる。

 

あ、つまらないことを言ってしまったかも。

と、自分の言葉を否定的に感じているのだとしたら、その否定感情を、眺めてみる。

じっと見ているとそれは時とともに小さくなりやがて消え去っているにちがいありません。

 

今日のコミュニケーションは、けれど、どちらかというと、

思ったことをポーンと放ってみる、かわいらしい小学生くらいの感じがよいようです。

 

それから、目に映る視覚的情報をすぐに分析的に言葉に変換してしまうのではなく、

自分なりに、あたらしい意味を与えてみるというのもおもしろいと思います。

 

蚊がブーンと飛んでいたら、血を吸われる、かゆくなる、やっつけねば。

とオートマティックに連想し、叩き潰そうと発動するのではなく、

蚊の動きやフォルムやたてる音などから、まるで初めてその存在を目にしたように、

大喜利みたいに、オラクルカードをひくみたいに、抽象画を前にしたかのように、

はて、この動くものの意味、メッセージは?

と、やってみる。

 

そして、そんな自分を、「うちの子は天才かもしれない!」ってなテンションで、

あなた、おもしろいわねー、とってもすてき。いずれはすごい芸術家になるかもしれない。

なんて、親バカ的に、おおげさに、褒めてみる。

褒められたわたしも、子どもみたいに、えへん、って感じに、照れつつ「天才かも」と素直によろこぶ。

 

そんなコミュニケーションをまず、自分とはじめてみてそれから、

安心なお友だちや家族やパートナーなどと接したら、その人に向けても、

「この蚊は、なんかね、こういうメッセージで今あらわれているのかも」と、

お告げを告げるみたいに言ってみる。

 

そういうユニークな遊びから、これまでとは違う自分とつながり、

これまでとは違うシュールつかつエキサイティングな会話が生まれる、そんな日になりそうです。


 

最近、早くに目が覚めるものの、また寝ている。

毎度、問いかけるのだけど、応えがない。

 

なにしたい?

おきて、なにをしたい?

 

そう問いかけるものの、今日もずっと無。

 

あんがい何もしたいことはないようで、それはただ、まだ意識が眠っているというのではなく、

ほんとうに、別段したいことはないみたいなこの頃のわたし。今朝のわたし。

 

それじゃ、もう一度眠る? そう問いかけるも、今日はそれもノーだという。

ぼくは、ちょっと途方にくれる。

 

かれこれ1時間近く、聞いているのだけども、やっぱりずっとぼんやりしていて、

さっき、ジュースをスーパー安物のシャンパングラスに注いで飲んでみる。

庭の草々が、日に輝いている。

 

草の絵をかく? いいえ。

花の絵は? べつに。

インターネットする? とくに。

猫をなでる? うーむ。

 

ずっとそんな調子にやっていて、

この人のどこかはうんと頑固だなあ、と思う。

 

あの人へメールのお返事? ちがう。

ブログをかく? うーん、そうね。

 

ということで、ここをひらいた。

 

書きたいことは、あるようなないような。

ぼくは何をしたいんだろう、何をさしだしたらよろこぶのだろう、

食べ物ではどうか、いえ、それもいりません。飲み物は? もうけっこう。

 

あるアイドルさんのことをまた思い出した。

彼はそういえば言っていた。寝る時間を削っても、仕事の前には1時間くらい自分の時間をとりたい。

その時間はなにをしているんですか? なにも。ボーッとする。1時間? うん、1時間。

その時間がないと、なにかをうまく保てないようだった。

 

何年前のインタビューでぼくはそれをきいたのだろう。

毎日のたくさんのことば、情報の海原をこえて、きょう、また彼の言葉がぼくをとらえる。

そして、しばし、目の前にひろがる光と影の緑を眺めていた。


自分と一致する

自分がハッピーでいることが大切。自分の状態、無意識レベルの自分、波動が伝播されるのだから。

「自分のハッピー」は自分にしかわからない。

良いとされるものが必ず自分にあてはまるわけではない。

好みの問題。それが個性。

 

そのためには自分を知ろうとすることしかない。

自分の状態を知ろうとすること。それには自分をみる。自分を感じること。快、不快に気がつくこと。

自分の快、不快を重要視すること。それが自分を大切にする、自分を愛するということ。

 

そうできない自分を「こうあるべき」とコントロールすることは、自分を向上させることではない。

「そうありたい」自分の「ありたい」がどこからくるのか。

社会から、親から、常識が由来なのか、自分の感覚、本心からなのか、

その見極めは、積み重なったもの、こびりついたもの、埋め込まれたものが多いほど、

埋もれているので、わかりづらい。

一朝一夕で、というわけにはいかない。

継続的におこなうこと。自分を大切にしつづけること。

 

 

ないものをあげることはできない。

自分に優しくない人が人に優しくできることはない。

自分にしていることを、人にしている。

肯定も否定もいらない。ただ、ある、ということを、存在をみとめる、みてとる、認識する。

人のことも同じ。認めるのではなくて、みてとる。

肯定しようとすると、否定もうまれる。二極性。

 

人に従うことよりも自分に従うこと。

集団、社会よりも自分、個人をまず大事にすること。尊ぶこと。

小さいことから、小さいことこそ、そうしていく。

おきたいときにおきる。食べたいから食べる。

 

「ルールに従う」ことをルールとしたいのは、ルールを決める人たちの都合による。

社会人の前にいち個人。”社会のため”は「お国のため」につながる。コントールにつながる。

服従する意識へとつながる。

あたりまえのようにそれを教えられる、植え付けられる。個人の尊重よりも前に。

その洗脳をとく。

自分でしかとけない。

人がそれをしてくれるのを待っていたら、けっきょく、”その人”に従うことになる。

ヒエラルキー制度から抜けられない。ピラミッド社会。

目に見えないカースト制度的なことから抜け出せないと苦しみから抜けられない。

ピラミッド社会には個人の尊重がない。

決められた範囲下での自由しかない。

人のくれる自由しか自由にはならないということは、不自由ということ。

人に従っている以上、ぬけられない。

 

本当はもっと自由。型などない。みんなちがう。

みんなオリジナル。自分だけのものをもっている。

 

「自分を生きることは罪ではない」(by アレハンドロ・ホドロフスキー)

 

 

パキっと目が覚めてしまい、とつじょノートにバーっとでてきた言葉たち。

ここのところ、超いろいろあり、静かであり激しい。

アレハンドロ・ホドロフスキーさんの「エンドレス・ポエトリー」という作品、めっちゃよかったです!

 


 

この気持ちいい緑のしたで、ぼくはサンドイッチを食べた。

たしかセブンイレブンで買ったのだったかな、そういうサンドイッチ。

どこかお店に入って食べるのもいいかも、と思ったけれど、

とっても暑かったが、その暑さで冷房で冷えた体をあたためてもらいたかった。

サンドイッチは、とてもおいしかった。

ぼくは、この人生のいつまで、そのようなジャンクなものを口にするのだろう。

でも、いつまでもときどきは口にする自分でいるような気がする。

好きなもののなかに、そのようなものがある自分が楽だなあ、って思う。

そういうことを思っている。

自分を白か黒かはっきりくっきりさせることなんてできないのかもな、って。

基本的な立ち位置みたいな軸があって、つよい風が吹いたときにはおおいに揺れて、

でも、ちゃんと自分のいるべき場所、自分が健やかで軽やかにいられる地点に戻る。

戻れるのだったら大丈夫。

なんだかんだと日々いろいろある、超しんどいこともたくさんあったけど、でも、最後には、

しっかりと自分の場所にもどっていた。だから今日がある。

 

自分の場所は自分の中にしかない。

物理的な場所なんかじゃなくて、時間も空間もこえた、目に見えないそこは、

ぼくの意識がつくるスペース。

 

自分のための時間をつくって、自分のためにいれた好きな飲み物をもって、心地の良い気に入りの恰好をして、

外が春だろうと夏だろうと寒かろうとそのようなものに惑わされることなく、

自分の大事な自分を、ひきつづき育んでいこう。そう思う。


note

 

8/11 書きたいときに書く

 

ムリに日課にしなくてよい。

やりたいからやる。書きたいから書く。

そうした日常的な行動をシンプルにしてゆくと

やがて人生全体がシンプルになっていそう。

好きな人たちといる。好きな人たちとあそぶ。

好きなものをたべ好きなときにねて好きな人と交わる。

そのシンプルさこそ実は自然というものではないか。

まずシンプルにやってみよう。

シンプルに生きてみるという実験。

 

 

 


note

 

8/11 否定はいらない

 

今日は朝、朝に書いている。夢は忘れてしまった。

「否定はいらない」し「罪悪感」もいらない。

好きなら好き。それでよい。

いろんなことがあったり、とりたてて何もなかったり、

でも、とにかく生きている。全部がそうであったから、今、生きている。

「否定」を否定することもいらない。

 

 

 

 


note

 

8/22  ニュートラルについて

 

ニュートラルというのは負荷ゼロをいうのだろうか。

無理をしていない。むりに明るくすることも、ポジティブにあることもしない状態。

「ゆるむ」というキーワードは、おそらく悟りの鍵だろう。

力が抜けている。プラスにもマイナスにもない。

自分を装わず、偽らない。

ニュートラルでいられたら、たぶんすごく楽。

なんにも余計なことをしなくてよいのだから簡単だし(本来は)、

いちばん「自分自身」ということであろう。

まず、自分のニュートラルに気づこう。

どのような場が、環境が、状態がもっとも居心地がよいかをしること。

たぶんそのときにもっとも力を発揮する。天才となる。

頭で考えてそれはわかるものではない。

「快適」は思考以前のもの。だから「感じる」こと。

感覚に、己の快適メーターみたいな目にみえないそれにつねに気づこうといること。

フォーカスを思考ではなく感覚にむける。

”感覚”をわからないということはない。

耳をよくそばだてれば必ずわかる。

 

 


8月展示

 

さて、真夏に展示をしています。

 

おととしに知り合いまして、声をかけていただきまして、今年で3年目。

うちから車で10分強のところにあります、ラーメン屋さんでありギャラリーでもある味楽苑さん。

 

今回は、5年ぶりくらいに全部額装したものを飾っています。9点。

キャンバスは塗り重ねまくる節があるのだけど、紙の絵はそう重ねず、ある意味シンプルかもしれません。

 

よかったら見にいらしてください。

ぼくはいませんが、近所に住んでいるので、

声をかけていただけましたら!

 

それにしても八王子、超暑い。

 

 

味楽苑 / ギャラリーアート並木

東京都八王子市並木町39-28 電話042-664-0528 水曜、木曜定休 


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