午後の整理

 

手をすべらせて宇宙。

どうも少しやさぐれているのだな、私。

自前の体温調節機能ではまかなえないくらいの気温となり、機器にたより、

快適に過ごしているけれど、外からもたらされるものだからして、

相応に体のバランス、それにともない心のバランスも、少々おかしくなっているのかもしれない。

 

さっき思ったこと。

とどのつまり、自分が何を信じたくて、何を信じているかということなのだろう。

自分を信じているのか、サムシンググレイトなのか、特定の神様なのか、

一般論なのか、科学か、”偉い人”の言うことか、世間の声か、

友人、パートナー、親、先生、虫の知らせ......。

 

いずれにしても実は、どれにも確実な根拠などないのかもしれない。

そして、最後の最後、最後の砦は結局「自分自身」。

自分自身がそれを信じる。それを信じるとした自分自身を信じる。

そういうことなのだろう。


セルフィー

 

 午後。とても暑い。少し外に出るだけで汗が流れる。夏。待望の夏。だけど今日もぼくはだるい。何をしたいだろう、と問いかけこれを選んだ。絵も描きたいような気はするが、本心ではないような感じもして文を選んだ。

 

 さっき出てきた言葉。「あるべき感情。とるべき態度」。ぼくは道徳の時間が好きで、道徳がとても得意だった。自信があった。正確なことは思い出せないけれど、とにかく道徳の授業はそれこそ「あるべき感情、とるべき行動」を問うものだったように思う。そして、ぼくはそれを答えることがとても上手だった。正解がわかった。なんで他の人はわからないのだろう、と思っていた記憶が蘇ってきた。ずっとぼくは道徳的に生きようとしてきているのかもしれない。正しいとされる感情や振る舞いを自然に弾きだし、それが本心と違っても、そうあるべきだという命令に従ってきた。それによって、その場は満足のようなものをして、あとで本当に自分が感じていたことや、あらわれ出ていた、出ようとしていたが制御した態度、その自分に復讐のようなことをされる。後悔をするということ。でも、その後悔もまたぼくは「後悔は不要」として切り捨てる。なかったことにする。見過ごす。そのようなことを繰り返しまくるうちに、自分の本心とかけ離れた立派な仮面をつけることとなった。立派な仮面をつけて外の世界に出て行き、立派な人のようなふりをして、その立派な人物を自分だと思い込んでしまう。そうしてますます本当の思いのようなものが自分から遠のいてしまったのかもと思う。本能のぼく、野生のぼく。ありのままのぼくから。いい人、立派な人をやめたい。あるべきと思う自分を演じることをやめたい。なぜならしんどいから。興味のないことを興味があるふりをして、自分を騙して生きることをもうやめよう。そんなことをしても自分はよろこばない。そんな風に生きて、つくりあげたその人物像を慕ってやってきた誰かを、自分は欺いているのではないかという思いが常にどこかにある。葛藤。それは葛藤。葛藤を減らしていきたい。いや、減らす。もっと自分のまま生きることを許す。許可する。

 

 本当は、多くの人のしていることになど興味がない。なんとも思わない。その話を聞いても、その姿を見ても、本当には感動をしていない。結局自分にばかり興味がある。関心は自分に向いている。一方で、人からの評価を求める。人に評価をされたいと思っている。だから、人のことを気にする。興味のあるふりをする。でも、それは純粋な興味ではなく、駆け引き。下心がある行いなのだ。その下心を自分は知っている。だから、人からの好意を信じることができない。仮の、嘘の、偽りの自分への好意と感じてしまうのだ。本当のぼくを知ったらそんな風には思わないだろう、と感じている。

 


満月

 

いま感じていることはきっととても大切なこと。

あとからこの気持ちを、ぼくにとって大事なことを思い出せるように。備忘録。

 

ぼくは自分の絵を描いている。ただそれだけ。それ以下でもそれ以上でもない。自分の絵が、誰かに響いたらありがたい。それは結果の話。誰かに響くような絵を描きたいのとは違う。今後、そこは変わるかもしれないけれど、無理に先を急がない。今を、自分を否定しない。絵が、結果として自己否定の引き金になっては本末転倒。ぼくは、絵を自分のために描いている。自分を自由に表現するありがたきスペースが紙。


ぼくの花

 

人生にはいろんなパターンがあるのだろうが、

思い返すとぼくの場合は、ほとんどやってくる。

それはぼくのホロスコープに如実にあらわれているけれど、人からもたらされる。

はい、はい! と自分から手をあげてアピールしてどうのということが、おそらく非常に少ないタイプ。

ただ、こと恋愛に関しては、あちらから言われて始まるってことがほとんどなく、

そこが面白いなー、と思ったりする。

 

さっき、面白いことがあったのでさっそく書きますと、

近所に自転車の修理と中古自転車の販売をするお店があることをまったく知らなかったのだけど、

聞いたところ、のぼりをこの春に立てたそうで、店自体は何年も前からあったよう。

ぼくはそののぼりにて、存在に気づき、徒歩10分以内ならと、

パンクしたまま放置していた自転車をひきずり、修理を頼みに行った。

 

直ったら、また空気が抜けて、また直してもらいまた空気が抜けて。

という、大丈夫ですか? という事態が起こり、

超ベテランのおじさんも、その原因ははっきり掴めないよう。

10分に一度、ポコって空気が抜けるくらいの大変発見し難い穴があるのかも、と。

 

ってな話をすっかり顔なじみになったものでしていながら、ブラブラ付近の写真を撮ったりしていると、

ところで、何をしている方なんでしたっけ? とこの4度目くらいのミートで初めての質問。

絵とか描いてます、と答え、写真を見せたりしていたら、

質問が増えてきて、何かと思ったら、

自転車のおじさんは、自転車の安全な乗り方をしらせるものを作りたくて、

そこに絵が必要らしく、どうですか? となった。

 

勝手に口外してはいけないかと思い控えますが、そのアイディアはすてきだった。

ぼくに具体的な絵が描けるか不安だけど、とりあえずちょっと描いてまた持ってきますー、と、

うっかり名前さえ名乗り忘れ帰宅。

 

この8月は、創作、制作に没頭する8月にしたい。

そう寝しなに記したら、そういう流れがやってきた。

 

なにがどうということはないけれど、

人から自分のしたいことを必要にされるってうれしいものですね。

 

そして写真の絵は、ぼくの中で「my flowerシリーズ」と呼んでいるもの。

夏のラーメン&ギャラリー展示のことで絵に向き合ってたら出てきた一枚。

これもまた、人がもたらしてくれたことだなあ、と思いありがたい。

一応値段はつけて展示する予定だけど、家に飾りたいくらい。とても気に入っている。


夏になった

 

今日はワガママに過ごしてみよう、と思う夏のはじまり。

ワガママと言っても全部ぼくに合わせてくださいということではなく。

人に合わせることを自分が選ぶ。自分の「今ここ」の権利を自分がもつ。

わたしの手綱をわたしがもつ。そういうイメージ。

 

最近、またInstagramに投稿をしていたりするのですが、その時にそれを思う。

自分が撮りたかった写真を自分がそこに投稿したい、ただそれだけのことでいいのだよな、と。

 

って、毎度同じようなことを綴ってしまいますが、

それほどぼくにとっては、そのようなことを繰り返し繰り返し自分に伝える必要を感じるのですね。

ほっとくとすぐに他人目線、人の目ベースで動こうとしてしまうのである。

 

今朝は起きたら夏だったもので、一気に気持ちが浮かれ、

この短いだろう夏を、しかと噛みしめたいとパッと起きた。

この暑さ、なつかしい。

セミの声、もわっとした空気。

8月は友だち夫婦の家に獅子座から乙女座へ太陽が移動する頃におよばれしている以外、予定がない。

ぼくの2020年の夏は、どんなものになるのかな、したいかな。

マイペースに生きよう。


真四角

 

この頃、「ふと気づく」ということがよく起こる。

たとえば、なんかカビ臭いなと普通に暮らしていたがある日のある瞬間、

あ! カビ臭い! と突如なり、即その原因を探り、

この間は、掛けてあるエコバック的な薄い布製のバックがことごとくカビ的であることを発見。

お母さんに言いつけるようにして、ねえ、ミッチー! これ、超臭い!これが匂い源だったんだ! となった。

 

昨日夕方、近所のドラッグストアに買い出しに出かけ、not雨をゆっくり歩いて満喫中に、あ、となった。

真四角じゃん。インスタじゃん。

そして、撮った。

 

同じ日常生活、行動範囲にも、いくらでも発見は永久にし続けられるのではないかと思う。

自分の意識が変われば、似て非なるパラレルワールドへとその都度移行しているのかもしれない。


memo

 

できないことをやろうとしたり、嫌なことを受け入れることが進化と思っていた。

でも、それをしていて楽しくない。

できないことはできません。嫌なことは嫌。そう自分を示すこと。

時にはNOを言うことが、ぼくには進化なのだと思った。

嫌なことを受け入れることの方が、嫌と拒むよりもぼくには簡単なのだから。

無理して「いいよ」と言ってよかったなあ、ということをあまり思い出せない。

むしろ、それらは今でも思い出すと苦い気持ちになったりする。

そして、そのムリは、ふたたびやってきたりする。

受け入れるレッスンではなく、受け入れないレッスンなのかもしれない。

結局どうありたいのか、だ。どちらの自分でいたいのか。

NOを言う人か、なんでもYESできる人か。

どちらでもいいのだろう。自分がそれをわかってしていれば。

理想も大事。けれど現実も大事。身の丈を知ること。

頭で考えた理想を自分に課したら苦しい。理想と現実の境界線をひく、意識する。

理想に食い殺されたらあまりに哀しい。
 


Messenger

 

どうにも写真に撮りがたい絵。

描き終わったときになんともいえない昂揚感があった。

ああ、ここにつながっていたのか、と完成を眺めて思った。

 

またここに書きますが、8月は恒例のラーメン&ギャラリーでの展示があります。

久しぶりの展示の機会に、自分が少し活性している感じあり。ありがたいです。


ランチ

 

今日のランチ。なんとミッチー、卵サンドを作ってくれていました。

辛子マヨネーズが塗られていておいしい。

ゆっくり噛みしめて食べたら昼食はこれだけで満たされた。

 

淋しい女は太る。みたいなことを林真理子さんがいつか書かれていた記憶ですが、

心と食欲は関係あるぞ、と、ぼくも思う。

 

小さいカップはイシイちゃんのカップ。

食卓には友人知人が作った陶器や、友だちにプレゼントしてもらったものや、

いただいたもの、安く譲っていただいたものなどが多々で、

洗い物を担当するぼくとしては、本当に毎度いちいちそれを思い出している。

 

今日の皿は、自転車で10分程度のところにかつてあった、

それはそれはカッコいい家具屋さんで 八王子に越したての頃にもとめたもの。

同じ皿を2枚買ったつもりだったが、アンティークのそれは、冷静に見ると似て非なるものだった。

 

イシイちゃん https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000037923.html

 


what ??

 

きのう家で描いていた絵に、今朝アトリエで加筆。

なんか強いなー、と写真に撮ったらインスタにあげたくなってそれをした。

 

どこかから、大きな笑い声がたびたび聞こえる。笑い声っていいな。突風的。お払いみたい。

よく笑う人って、人が集まってきそうだよね。ねえねえ、聞いて、って言いたくなる。

ぼくはと言えば、自分ではそのつもりはないのだが、鼻で笑っているらしい。

昔、先輩のカメラマンさんに怒られたことがある。野村くんさ、いま鼻で笑ったでしょ?

ほかにも、あ、バカにした、と占星術メイトに言われたこともある。

笑い方で損している人間っているんだなあ。

 

当事者としては、毎度「え?」となる。いえ、そういうつもりじゃ......、となる。

でも、自覚が足りないだけで、ふつうに鼻で笑っているのかもしれない。

 

そういう人間を通過し現れた絵です。きょうのArt。


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