She is her

 

ペドロ・アルモドバルさんの映画「セクシリア」に触れたら、こういう気分になった。

誰がどこでなにをしていても、わたしはわたし。

そういう気持ちに。

 

それは、わたしだけがわたしを生きていいのではなくて、

誰がどこでなにをしていても、ふーん、それで? あなたが満足ならそれでいいじゃない。

そういう感じ。

 

ティーンの頃にアルモドバルの映画をVHSで初めて観たのは、どういうわけだったのか思い出せない。

伊勢原書店のビデオコーナーに何時間もうろうろして、パッケージを裏返して、

おそらくそうして出会ったのだろうと思う。

そういうことこそ運命なんだと思う。

ぼくはアルモドバルに出会った。

アルモドバルに出会わない人生もある。

 

当時も「面白い」と思っていたが、「好き」とは思っていなかった。

今年、閉店セールで「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(すごいタイトル)を買って、観て、笑って、

その再会が、結局先週の「セクシリア」に繋がった。

なにを大袈裟に、と思うが、

でも、それほどに、ぼくにとって今の年になって観た「セクシリア」がよかった。

ああいう世界に住みたい。

変態が変態のまま「ふーん」と生きている変態ばかりの、だから変態がいないそういう世界。

個性的という言葉は死語になっているだろう世界。

 

メルカリでDVDを注文してしまった。うれしい。

これで、何回でもあの映画が観られる。何度もであの世界にひたれる。うれしい。

そうしてアルモドバル先輩の空気を吸って、

閉塞感いっぱいの東京の片隅は内向的なこの日本人の心身を通して、

ぼくの好きなそのエネルギーをアートのようなものとして還元できたらいいなと思う。


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