セルフィー

 

 午後。とても暑い。少し外に出るだけで汗が流れる。夏。待望の夏。だけど今日もぼくはだるい。何をしたいだろう、と問いかけこれを選んだ。絵も描きたいような気はするが、本心ではないような感じもして文を選んだ。

 

 さっき出てきた言葉。「あるべき感情。とるべき態度」。ぼくは道徳の時間が好きで、道徳がとても得意だった。自信があった。正確なことは思い出せないけれど、とにかく道徳の授業はそれこそ「あるべき感情、とるべき行動」を問うものだったように思う。そして、ぼくはそれを答えることがとても上手だった。正解がわかった。なんで他の人はわからないのだろう、と思っていた記憶が蘇ってきた。ずっとぼくは道徳的に生きようとしてきているのかもしれない。正しいとされる感情や振る舞いを自然に弾きだし、それが本心と違っても、そうあるべきだという命令に従ってきた。それによって、その場は満足のようなものをして、あとで本当に自分が感じていたことや、あらわれ出ていた、出ようとしていたが制御した態度、その自分に復讐のようなことをされる。後悔をするということ。でも、その後悔もまたぼくは「後悔は不要」として切り捨てる。なかったことにする。見過ごす。そのようなことを繰り返しまくるうちに、自分の本心とかけ離れた立派な仮面をつけることとなった。立派な仮面をつけて外の世界に出て行き、立派な人のようなふりをして、その立派な人物を自分だと思い込んでしまう。そうしてますます本当の思いのようなものが自分から遠のいてしまったのかもと思う。本能のぼく、野生のぼく。ありのままのぼくから。いい人、立派な人をやめたい。あるべきと思う自分を演じることをやめたい。なぜならしんどいから。興味のないことを興味があるふりをして、自分を騙して生きることをもうやめよう。そんなことをしても自分はよろこばない。そんな風に生きて、つくりあげたその人物像を慕ってやってきた誰かを、自分は欺いているのではないかという思いが常にどこかにある。葛藤。それは葛藤。葛藤を減らしていきたい。いや、減らす。もっと自分のまま生きることを許す。許可する。

 

 本当は、多くの人のしていることになど興味がない。なんとも思わない。その話を聞いても、その姿を見ても、本当には感動をしていない。結局自分にばかり興味がある。関心は自分に向いている。一方で、人からの評価を求める。人に評価をされたいと思っている。だから、人のことを気にする。興味のあるふりをする。でも、それは純粋な興味ではなく、駆け引き。下心がある行いなのだ。その下心を自分は知っている。だから、人からの好意を信じることができない。仮の、嘘の、偽りの自分への好意と感じてしまうのだ。本当のぼくを知ったらそんな風には思わないだろう、と感じている。

 


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