朝の自分

目が覚めてから2時間くらい経ったけど、今日はぜんぜん心が動かない。

いや、動いている、活動はしているのでしょうけれど、

あ、と何かをしようとならない。

これならしたい、って気がむくことがない。

写真を、花の写真を撮ったのは起きてすぐのこと。

それは、自分の調子が良い兆候のように思えてうれしいことだったけど、

パタリと凪。

 

したいな、って浮かぶことはあるのだけれど、

本当に、実際に動くに至らない。

リハビリのような感覚で、今これを書いている。

 

数年前、尾道の友だちを訪ねた夏があり、

今もときおり尾道を脳内再訪しているのだけど、それはさておき、

たしか最終日に気になるカバンを見つけた。

ヨットの帆だったかの再利用でできたそれは、素敵だったけど、即断するにはちょっと高かった。

しばし迷い、購入を決めてふたたび訪れたところ、店は休憩だかで閉まっていて、

ぼくは、そこをもう訪れる時間がなく、買うことはなかった。

 

それを友人が「シビアだね。タイミングというのは実にシビアだ」というようなことを言い、

その言葉がずーっと残っている。

良いとか悪いとかではなくて、

その出来事を「タイミングのシビアさ」のエピソードとした感性を面白いなあ、と思ったのである。

 

今朝もそれを思う。

本当は、目が覚めた瞬間に出かけたいと思った。ドライブをしよう、

とりあえずひとけの少ないところへ、緑豊かなところへ、静かなところへ、

音楽を大きな音でかけながら向かっている自分のハイな気分さえもう手にしていた。

だけど、それを即実行しなかった。

iPodを充電しよう。それを待つ間のこの眠さを利用して瞑想しよう、そうしよう、

と、やっていたら、充電は完了したものの、その気がほとんど去っていた。

 

自分のことであっても、タイミングが大事だと思う気持ちが日々強まっている。

人から勧められたきっと好きだろうな、というドラマや映画もまるで見れていない。

見たいんだけども、沸点に達しないというか、今この状態で見ることは、

自分をコントロールすることだろうな、って感じてしまうのだ。

 

とはいえ、こうして、ブログを書きたい!

というテンションじゃなく、リハビリみたいにやっている、やれているのだから、

そこまで自分の何かに従う必要はないのかもしれない。

 

これをここまでじっと読んでいただいた人がありましたら、なんかすみません。

ぼくの今朝のリハビリにお付き合いいただいてしまいました。

ありがとうございます。

 

だいたいね、一つ動くとエネルギーが湧いてきて、次のアクションにつながるんだけどもね、

今朝はそのように運ばない。こんなにパキッと起きているけどもう一度布団に戻ってしまいそうなくらい。

 

そんな日もある。そういう自分もいる。

おかしな人かもしれないけれど、いたしかたない。

自分に負荷をかけないように生きることをぼくは大事としているのだから。

 

 

花はありがたい。

あると、見てる。目が向く。

光の具合とかがすてきだと写真を撮りたくなる。

薄暗い朝は、よくわからないけどアール・デコ?みたいな、

いや、全然それとは違うのかもだけど、

そういう西欧調の曲線の優雅さを撮って、

見て、見て! としたくなる。そして、今している。

とにかく、この花の上品さには感心する。

昔の女優、大女優の晩年みたいなひかえめながら隠せおうせない品性みたいな感じ。

 


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