アタシ問答

 

 昨夜はそんなわけで覚醒していた。眠いけど、ものすごく頭がクリアーで、自分の人生の意味がみえた。ぼくは、ぼくでいたらいいのだ。社会的に否定されても、そのような自分をぼくは受け入れる。愛する。どんな自分も認めていく。そうしてただ生きていく。ぼくが100%の自分、自己一致した自分である時、それはどのような表現よりも「表現」なのだ。言葉とか絵とかそうしたもの以上に、生きる表現となる。それは、言葉やいろいろを超えて、触れた人に伝染するのだろう。それが、ぼくの生きる意味。ぼくが生きていてできる最大の貢献。そう、これまではどこかで、「こんな自分ではいけないのではないか」とか、「社会の役に立っていない」「人の役に立っていない」と思っているところがあった。でも、それは違う。自分が自分らしくあるということこそが、どんな仕事よりも社会や人の役に立つのだ。だって、そのように自分を100%受け入れている人は、人に対しての否定がない。自己否定のない人の放つエネルギー、空気はきっと、ものすごく澄んでいて、気持ちがいいだろうと思う。清々しいというかね。そんな人が、存在していることがもう救いやら希望になるのだ。今、佐藤初女さんのことが思い浮かんだ。お会いしたことはないから実際はわからないけれど、彼女がされていた「家」は、そこを訪れた人が、浄化されるという話だった。でも、そこで何か特別なことをするわけではない。儀式と言えるとしたらそれは、一緒にご飯を食べることだった。食事をともにして、少しお話をする。初女さんがされていたのはたぶんそういうこと。それだけ。でも、そこにはおそらく一切の「否定」がなかったのだろう。「そのままのあなたでいいのですよ」と、それを言葉だけでなく、それこそ全身全霊で、エネルギーとして響かせていたのだろう。そこに駆け込んだ人は、そして癒される。生きていていいんだ、自分もいていいんだ、と涙したのだろう。生きることを許された。そのような感覚になったのかな、と思う。ぼくは、それを自分にしている。彼に対してしている。彼もぼくにそれをしている。それが「愛する」ということなのかもしれない。そう思う。

 

 


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