レッスン

 

今朝の夢で現実には体験したことがないかもしれない、激しい口論をしていた。

そこには強い感情のようなものはなく、ただ、相手と違う自分の意見を主張していた。

起きて、ある人のことが思い出された。

ご無沙汰のその人に、なんとなく避けられているように自分が思っていることの自覚はあった。

その関係について、わかったことがあった。

それは、自分にも意見や考えがあるということだった。

そして自分は、その人だけでなく誰からも嫌われないようにすごくエネルギーを注いでいるということを思った。

みんなから好かれたいのではない。嫌われたくないのだった。

自分の意思や意見というものをないがしろにすることにぼくはとても慣れている。ずっとそうして40年近く経った。

 

今日のスピリチュアル・レッスンの課題に「自分の未来をつくる」というものがあった。

椅子に座って目をつぶり、15分間自分の「ありたい未来」を映画を観るように想像するというもの。

ふーん、そうですか。というテンションで、取り組んだ。

スピリチュアル界隈でヴィジョンを描くことは珍しくない。

何度もそのようなことはやってきた。だけど、あまりその力を実感していなかった。

でも、やってみた。

すると、想像は勝手に広がっていった。

自分が考えて思い描くというだけではなく、やればやるほど想像のほうがやってくるような感じになった。

 

目をあけて、とても清々しい気持ちだった。

描いたヴィジョンは、ぼくに明るくて強い力をくれた。

「ありたい未来」とは、目的地のようなものなのだな。

それがわかり、定まると、自分が向かっていきたい場所がわかる。

意識のナビに、ようやく目的地を設定できたように思った。

 

目的地は場所ではなかった。形のあるものとも違っていた。

誰がいて、何をするというような具体的な時間もわいたけれど、それは重要なことではないと思った。

いちばん重要なことは、自分のあり方だった。

ふるまいとか、髪型とか、肩書きとかではなくて、

自分がどのような心地で生きているかということだった。

 

未来のぼくは、やっぱり淡々としていたけれど、今日のぼくよりもずっとフラットだった。

思っていることを口にしていた。したいと思うことをやっていた。

人に嫌われることを恐れていなかった。いや、人に嫌われるからと自分を押さえつけることをしていなかった。

その状態は、とてもとても楽だった。軽かった。初夏の風のようだった。

そうありたい、と思った。

 

レッスンにはつづきがあり、「ありたい自分のように今日からふるまう」とあった。

まったくその通りだと思った。

自分の状態は、自分の領域にある。自分がフラットでなければフラットな自分にはならない。

外側の”現実”が変わるから、自分がそうなれるのではない。

外側が変わっても自分がうじうじしていたら、うじうじした世界のままなのだ。

 

ほんとうに、たったそれだけのこと。ただ目をつぶって想像するだけ。

15分は長いな、とやる前は思ったが、

やってみたら楽しくて居心地が良くて、いつの間にか25分くらいその世界にいた。

そして、目を開けてからも、その心地はつづいた。

自分がそうあれば、あの居心地良い未来はやがて現実になるとわかったのだった。

 

とっても簡単、無料でできます。

よかったら、ぜひ!


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