day15

ここ数日はこれを書いていなかった。
いろいろあったのに、あったから書いていなかった。
今日のレッスンに取り掛かる前に書いておこう。

 

 

まずはさっき断った。Mくんの家での宴を断った。
行きたい気持ちも強くあるのだけど、体は疲れている。
早く休んでよく寝れば回復するかと思ったけど、いっそ体は休みたがっているのがわかる。
だけど、それでも迷って迷って、アストロダイスまで振って、
それでも迷って、結局断りの連絡をさっきした。

 

Mくんなど、スーパーフラットな人で、
とっても付き合いやすいその人の誘いなのに、
ぼくは断ることをとても恐れた。
断ったものの返信がまだないことが少しまだ怖い。

あ、結果今日のレッスンのことを書き出している。
過ぎた日のことはもういいか。出てきたら出てきだし、出てこないならもういい。

 

怖いのだ。ぼくは人に対してNoを伝えることがとても怖い。
断ったら二度と誘われなさそうで怖いという思いがある。ずっとある。
人の誘いを断ることが相当苦手で、ハードルが高い。
Yさんが双子座の人は、さらっと断れる。それは才能。というようなことを言っていたが、
自分に関しては、さらっと断ることが得意ではない。
対外的にはそう見えることもあるかもしれないけれど、
内情は、いつも葛藤に葛藤を重ね、
できるだけYesしたい、Yesしなくては、と葛藤し、
それでも気持ちがYesとならないときだけ、
毎度緊張しながらNoをしている。
あきらかに予定が他にあるときは断れるけど、

予定は空いているのにNoするなんてたやすくない。

 

今回のような場だと、そこに参加しなかったことで
何かしらのチャンスを逃しそうで怖いというのもある。
そこでとてもいい話があるとか、すてきな人と知り合えるとか、
そういう”未来”を逃しそうで怖い。
でも、その”未来”とは何だろうか?

 

ぼくは他力本願なのだな。
誰かがぼくを見つけてくれる。誰かがぼくに与えてくれる。
そういう思いがあるのだろう。
自力を信じていないのかもしれない。
それから宇宙の流れとか、
ライトタイムを信じきれていないのかもしれない。
もし、本当に「ライトタイム、ライトプレイス」を信じていたら、
出会うべき人にはどうやったて会えるわけだし、
必要なメッセージや機会は逃しようがない。
それを信じていないから「自分がNoしたことで千載一遇の機会を逃すかも」と思って返事を躊躇する。

でも、自分の本心にそむいてYesしたことで手に入れたものというのは、
よく考えたら、自分とズレた場所での出会いということになる。
それが一見すごく素晴らしいものと思えても、
もとをたどると、自分に背いているところから始まっている。
だとしたら、それって本当に素晴らしいものかはわからない。

 

なぜ自分を信じないのか。
これまでの人生があったから今がある。
今があるということは、今生きている、今日命があるということ。
生きていることが正しいとは思わない。
死が間違いともダメなこととも思わない。
だから「今日生きていること」が絶対の善だとは思わない。
だけど、生きていないと、今のこの日、目の前のすべて、悩み葛藤する自分も存在しない。
そう考えると、悩めることも生きているからこそなわけで、
悩むという経験も、生きているからこそできるのだ。

 

「生きていること」に良し悪しはないにしても、とにかく生きていることは事実。
そして、今日も命があるということは、これまでのすべてがそのようであったからこそ成立する。

 

ifの話は無意味かもだけれど、
もしも昨日の行動の何かが少しでも違ったら、今日がなかったかもしれない。
朝、目を覚ますことがなかったかもしれない。死んでいた可能性もある。
だとしたら、この世で経験できるすべてのこと以上に、
この世の経験の大元というか、器みたいなものが「生きている」ということなわけだから、
生きていることが、すべての経験よりも、尊いこととなる。
今日生きている、ということ以上に貴重な経験はないということになる。
そう考えると、あらゆる選択、そのすべては「正解」だったのだ。
だから生きているのだ。

 

ぜんぶ「正解」で、今日も命がつづいているからこそ、悩むことができる。
ある意味ぼくは、今日までの43年と何百日か、一度も間違うことがなかったのだ。
毎分、毎秒、毎瞬、1mmの狂いもなく「正解」を出し続けてきた。
だから生きている。

そう思うと、自分って本当にすごい。
ぜんぶがぜんぶ正しかったのだ。
人に対してしてしまった失礼も、心の中で抱いた激しい攻撃性も、実際に放った言葉、行動、
穴があったら入りたいくらい恥ずかしいことも、あとから何度も何度も悔やんだことも、
そのすべては、それで正しかったのだ。

 

生きていることが正しいとは思わない。
だけど、生きていなくては正しいやら間違っているやら
そういう逡巡すらできない。
間違った選択なんてきっとないのだ。
そう思ってみる。
そう思ってみたら、怖いことが少しは減るかもしれない。

断りたい自分がどこかにいるのだとしたら、
その小さい声こそ大切にしてみよう。
大きい声、自分の理性や恐れから生まれた声に従うことばかりではなく、
かすかだけど、嫌だとか、しんどいとか、動けない動きたくない、
そういうワガママな自分の声に耳を傾けよう。
かき消えそうなその声を聞き届け、尊重しよう。

 


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