1月の記録

 

 今日は1月の最後の日。今は土星が山羊座の26度に位置していて、ぼくのアンチバーテックスとオーブ1度未満のところにおそらくある。冥王星は山羊座の24度。せっかく占星術と出会ったのだから、この今の状態を記録しておこう。やはり、ここにこうして自分との対話を記すしか今のぼくにできることはない。いや、それだけがすべてではないけれど、今できることを今、行う。

 

 今年に入ってからのこの一ヶ月間は、実に奇妙な心の状態にある。さまざまな要素が複合的にからみあって、浮き沈みを繰り返しているが、主に沈んでいる。沈みがち。そのような流れにある。これを「流れ」という風に、外側からの影響というか、“しかたがないこと”とみなしてみる。自分の責任というか、自分の在り方ひとつだと頭はいうけれど、それを採用してしまうと自分を責めてしまうので、いったん「しかたがないこと」とみなしてみる。そうして、先に進めてみようと思う。この頃の自分に起こっていることは、無力感や自責的なこと。その反動のように何かをしなくては、と焦ったり、誰かや何かを責め返そうとする心の動きがある。この動き、揺れが自分を少し疲れさせているのだろうと思う。落ち込んでいるとしたら、それは自分の在りたい状態と現状のギャップに寄るところが大きいのかもしれない。理想とはなんだ? 理想とは、曇りのない状態にあること。心がいつも晴れやかで澄んでいて、毎日ニコニコと機嫌よく、外側も内側もスムーズであること。外側のスムーズさとは何かというと、仕事が、ちょうど良いペースであって、それによって金銭的な余裕がある状態。お金に対して、来月の、今日の生活状態になんの不安もないこと。さらに言えば、欲しいと思ったものをそう躊躇せずに求める余裕、会いたいと思った人を誘い食事になど行く余裕が常にもてること。そして、社会に対して自分の得意であり好きなことで役立てること。そう、「役立てる」という実感を持ちたい。自分だけが気持ちよくというか、楽にあれてお金が手にはいるが、関わった人があまり気持ちよくないとか、満足できない場合、結果的に自分も満たされない。「ありがとう」と言い合えて、「すばらしかったね」と言い合えて完了するような働きをできたらと願う。ぼくはとことん「苦」を避けたい、「楽」を得たいと考えているのかもしれない。その甘い汁だけを吸いたい怠慢さというのだろうか、都合の良さのようなものを自分が知ることを巧妙に避けようとする心や頭の動きもある。その自分のズルさ、甘さに気づかないふりをする。けれど、一方の自分はたしかにそのズルさを知っていて、「お前はズルい」と繰り返し伝えてこようとする。その声から目を背けたくて自分と向き合わない。けれど、向き合わなかったとしても確実にその批判的な自分は存在して、認めないがゆえに、なんだか疲れてしまう。そのような状態にあるように感じる。でも、自分は完璧ではない。完璧な人間になどなれない。なろうとしなくていいのかもしれない。完璧な人間など絵に描いた餅のようなものかもしれない。そして、完璧な人間が意味することというか、その存在というのは案外と、人を癒すどころか追い詰めるかもしれない。

 

 自分のこの状態をまず認める。容認というよりかは、確認というか、目視するというのかの「みとめる」。だって、あるのだもの、そのような自分がいるのだもの、そのことを見ないことには始まらない。ぼくは、とてもワガママなんだな。自分の都合が良い世界を望んでいる。自分のことをどこまでもコントロールしたい、支配できると思い込んでいる。でも、できない。実際には意識ですべてを動かすことはできない。どうしたって、無意識なる自分の影響を受ける、しかもその影響はとても強い。もし自分の意識だけで成り立つのだとしたら、このようなローな状態はありえない。「あ、嫌だ。ぼくは明るいのがいい。楽しいのがいい」とスイッチを切り替えれば即座にそのような、自分の望む自分になれる。でも、実際はそうなれない。でも、それをあきらめたら叶わないのだから、何度でも自分に魔法をかける、ありたい自分へのスイッチをオンにすることが大切なのかも、とも思う。いろんな自分がある。いつも矛盾を抱えている。「矛盾する自分を許してあげなくちゃダメです」とは、「すいか」の名言。名言と思うくせに、なかなかそれを行うのは難しい。できないからこそ何年も何年も自分に響いているのかもしれない。

 

 ぼくは弱くてズルくて甘い。ぼくは弱い人間で、甘い人間で、ズルい人間です。それでいいじゃないか。だって、それが今のぼくなのだから。ぼくはズルくて弱くて甘い。それでいいじゃないか。自分が在りたい理想の自分へとゆっくりと一歩一歩近づいている、そこへ向かって歩んでいる途上の人間でいいじゃないか。今日完璧ではなくていいじゃないか。誰からも愛されず認められないとしても、だったらなおのこと自分がそのような自分を愛して認めてあげたらいいじゃないか。みんながあなたを敵とするならば、ただひとりの味方になってあげればいいじゃないか。それを自分がしなくて、みなに加勢して責めたとして、自分はそれで幸せなのか? 

 

 自分にしかできないことを求めているわけではないと思う。それはあくまでも「結果」だし、自分にしかできないことはないのかもしれないし、逆に言えばあらゆることは自分にしかできないことと思う。同じ人間は二人いない。ひとりしかいない。だから、自分にしかできないことしかない。だから、「自分にしかできないこと」を求める必要はない。ただ、なんだろう、自分にできることをしたいとは思う。みんなができることを自分もできるようにならなくてはいけないわけではない。みんながそうだから、自分もそうしなくてはいけないなんてことはない。

 


コメント
コメントする








   

CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< April 2020 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENT
PROFILE
SEARCH THIS SITE.
MOBILE
qrcode