目的と行動

 

今日はとても暖かくて気持ちよい朝だったので、
日光消毒ではないけれど、自分を日に当ててみよう、と思った。
それから少し体を動かしたいと思った。
でも、散歩に出かけるのはやや面倒。
ということで、目的をつくった。

目的は歩いて20分くらいの文具店。
そこにて、気に入りのペンの替え芯を手に入れようと浮かんだら、
一気にやる気が出て、即座に家を出た。

歩きながら、目的があると行動へのハードルが下がるなと思った。
そして、人生に明確な目的が見出せないからぼくは、
朝に目が覚めても二度寝をしたりして、
1日をぐずぐず過ごす日が多いのかもしれないと気づく。

人生の目的とは、生きる使命みたいなものだろうか?
人生の目的を、生きる使命を知りたい、と河原をぶらぶら歩く。
使命など浮かばない。浮かんでこない。

目的地に着き、買い物を済ませ、あたらしいペンを手にし、
また同じ河原を歩きながらの帰路、ふと思う。
人生の目的や使命というものは、自分で決めるしかないのかもと。

たとえ啓示を受けたとしても、
その啓示を「啓示」とみなすのは自分。
偉大なマスターに「あなたの使命はこれです」と告げられたとしても、
そのお告げを「真実」とみなし、
告げられた使命を「わが使命」と受け入れるのは私。
だから、使命は自分がそれと定めるしかないのかもしれない。

自分に最終決定権がある状態を「自由」と呼ぶのかもしれないが、
その不確かさは「不自由」とも言える。
それを「自由」とするか「不自由」とするかも私次第。

ただ、どのような人生にも出発点はあり、終着点はある。
終着点に向かう道すがらには瞬間ごとにたくさんの選択肢はあるだろうが、
たとえば生まれる家や環境は選べない。
生まれる前に自分がその生い立ちを決めているという説もあるけれど、
出発点は自分のチョイスではないとすると、
ある程度は生まれた瞬間から決められた道筋はあり、
出会う人や、起きる出来事などには避けられないものもあるのだろう。

「決められた中での与えられた自由」

それが真相だとすると、
決められた枠の中で生きて行くというそのことが、
人生のひとつの目的で、その人生を生き切ることが使命なのかもしれない。
その枠の中で自由になることに関しては、「自由」なのかも。

今日の目的のある散歩から手にしたことはそのようなことだった。


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