今日の予報

目に見えない領域を耕す。

そんな言葉がふってきました。

目に見えないどこかは、耕されることを待っているのかもしれません。

 

目に見えない場所を、どうして耕すことができるのでしょうか。

それは、意識を向けるということなのだろうと思う。

 

目に見える現象とセットに、目に見えないどこかにも写し鏡のようになにかしらが起こっている。

たとえば、燃え盛る火を前にして自分のどこかに、それを怖いと感じるエネルギー、

あるいは、血がたぎるようなうねり、

そのように、どこかが必ず動いている。

 

そう考えてみるだけで、目に見えないどこかがうっすらと脳裏に見えてくる気がしませんか。

 

耕すという行為は、クワか何かで土に連続的にエネルギーを注ぎ、攪拌するようなもの。

奥が前へ、前が奥へ、まじりあう。

 

自分が「こう」と思っていた枠に気がつけば、その枠を壊すことができる。

枠が壊れるとき、おそらくさらに大きな枠が生まれる。

肉体をもって生きている以上、枠そのものから完全に自由になることはできないのかもしれない。

自由とは、不自由の中にあるのかもしれない。

 

だとしたら、不自由を嘆くのではなく、不自由をあそぶ。

不自由だからこその自由なのだと、その見えざる表裏をありがたがってみる。

 

ごくささやかなことひとつでも、きのうまでの自分から意識的に脱皮してみると、

現実世界は、思いの外おおきく動くかもしれません。

 


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