夜の日記

 

 

 23時半すぎ。夜が寒いこの頃。最近面白かったのは、先日はみっちーの「今年は電気代のことをあまり気にせずに暖房を使おう、我慢をするのはやめよう」みたいな発言。笑った。馬鹿にしたのではもちろんなく、いい年をした二人が、そういうことを口に出し合っているということ、そのゲームみたいな暮らしをとてもおかしく感じたのだ。ああ、愉快。愉快と言っていられるのはひとつ、彼と暮らしているからだということ。それは間違いない。機嫌や体調が悪くない日にはだいたいそのことを感じている。今夜も、この寒い夜にまたそのことを思う。もし今ひとりで暮らしていたとしたらどうなのだろうか。自分はどんな心持ちに生きているのだろうか、などと思った。かつての自分だったらそれなりに楽しくやっていたに違いない。裏腹に虚しさは感じていただろうが、それでも寝てしまえば忘れて、時に電車に轢かれることを瞬間的に想像したりはしていただろうが、でもうまくやっていたかもしれない。が、今のぼくがもしひとりだったら無理だろう。以前のように普通に社会人生活をたぶんぼくは送ることができない。システムに組み込まれてその中での自由を謳歌することはもはや今日のぼくには無理なのだろうと思う。表裏。表裏というか、何かを得るときには何かを失っている、手放してこそ何かを手に入れている、そのように思うのだ。ぼくが手放したものと手に入れたものが先ほどまで風呂で鑑賞していた韓国映画「小公女」に描かれていた。映し出された世界のようにぼくは途方には暮れていない。あのような淋しい悲しいような顔をしていないだろう。でも、彼女の心もとなさだったり、周囲の変わっていった人々とのズレのようなものをどこか不思議に、独自の距離感で眺める感覚はぼくにもあるように感じた。それが作品というもの。自分を投影することができる。誰かが代表として描き、生み出したその世界に。

 

 それにしても夜はどこか恐ろしい。彼と猫がぼくとは異なるペースで世界観(?)で生きているこの集団生活、ほかのもののいる夜でもやはり夜は恐ろしかったりする。ふと、その暗い口に吸い込まれそうになる。ぜんぶが意味のないもののように感じられてどうしようもなくなることがある。昼間はそれがほとんどない。太陽の照る日には全然ない気がする。光とは偉大だ。

 今日はいろいろなことが行えて、とても清々しい日暮れまでの時間を過ごすことができた。エバちゃんとの企画のもろもろを提出することができた。國島さんに画像を送り、あとは絵を送るところまでやりとりが終わった。あーさんから新しくて面白いメールがまた届いていた。それから朝に、UFOに乗るというか吸い込まれるすごい夢を見た。あまりにもすごかったので起きて記憶のあるうちにiPhoneにメモをした。そのメモを貼っておく。

 

 UFOが突然空にあらわれて、すごい存在感。突如出現し、機敏に、ハイスペックな感じに動くのを、彼と子ども? 猫? との車で目撃し、うわ、となる。この姿、様子は彼らにも見えているのだろうか、と思ったら見えていて、ここまであらわに現れるともう、ないことにはならないな、すごいことになるぞ。と、ちょっとワクワクした気持ちが芽生えた。すると大きなUFOがなにか電波的なものを、超音波的なもの? を発したようで、目には見えない渦が生まれて、大きな地震にぐわんぐわん揺れるみたいになり、次第にぼくは(意識だけ?)浮き上がり、UFOに吸い込まれていくのがわかった。とくに慌てず、怖くもなく、ただ少しだけ淋しく、みっちーと猫? 子ども? に 「ありがとう。大丈夫だからね。ありがとう」とそれだげを送った(夢なのでテレパシー)。そこで記憶がとだえ? 場面が変わり、ぼくはまた世界に戻っていた。その後の展開は思い出せないが、宇宙人? UFO? は怖くないのだということを思っていた気がする。むしろ整える、調和のための働きをしていると思ったように思う。

 

 そういう夢。夢のあとに、何か新しい自分になったような心地になっていた。たかが夢なのだけど、先日のUFOみたいな雲を「UFOです」と断定してくれた人が二名いたことにより「やはりUFOだったのか!」となっていたため、勝手にどんどんめきめきその世界にいざなわれているような気持ちになった。

 外で猫が唸りあっている声がする。アンくんだったらいやだなあ。アンくんじゃなかったら別にいい。なんと白状というか身勝手なわたしなのだろう。知り合いだったらいや、赤の他人だったらいい。なんと狭い了見だろう。そうして猫の喧嘩的鳴き声は消えた。ホッ。安心して眠れる。

 

 今夜は初夏に盛岡はリタさんで買った陶器製の湯たんぽをなぜか彼が用意してくれてぼくの寝床の足元に入れてくれていた。やさしい。想像だが、湯たんぽの暖かさはやさしいに違いない。やさしい私は、彼の足元にそれを移しておこうと思っているが、布団に足を入れたらその気が失せるかもしれない。彼は風呂。ぼくはあぐらでベッドに座ってこれを書いている。書いていたらさびしくてむなしい気配も消えてしまったかもしれない。ああ、よかった。くだらない検索でも寝ながらiPhoneでしながら眠くなるのを待とうかな。明日は土曜日。晴れそうである。


アタシ問答

 ゆうべ、やることがなく、でも眠るには早く、テレビを見た。テレビで録画をしていた映画「海よりもまだ深く」をミッチーと観た。なんともいえない余韻の残る映画だった。ぼくは、たぶんこの映画が好きなのだろうと、見終わった後にすぐメモリーを消去したミッチーへの苛立ちのようなものにより感じた。でも、そうした感性が同じではないことを悲しく、イライラと思うことはほとんどなくなった。彼との違いに慣れた。違っていることが前提のように思えるようになった。これは成長だと思う。だって、違っていることを当然とした方が楽だもの。違わない、一緒だからこそ良いとすると、たぶん誰とも一緒になどいられない。そのようにようやく感じるようになった。かつては、「一緒」ということを当然と、あたりまえにそのように捉えるところがあり、人と違うことにいちいち傷つき、悲しくなった。ミッチーは、そのあたりをことごとくクラッシュしてくれるありがたい存在。出会ってから今日までの10数年間、毎日のようにぼくの当たり前を壊していく。ぜんぜん違う。でも、一緒にいる。一緒にいることのほうが自然なくらい一緒にいる。でも、あきない。彼をつまらない人と思う瞬間はあるけれど、あきることはない。彼は生きている。彼は自分を生きている。だからいつもどこか面白いし、興味深い。

 

 映画の何が良かったのか。ぼくは何を好きだったかをここに書くことで自分に教えてあげよう。是枝監督の顔がまず好き。これは映画と関係がない。本が好き。脚本が、言葉が好きだな、と彼の映画にふれるとよく思う。なんだか本当のような気がすることがよくある。ドラマの嘘みたいなセリフではなくて、日常の、あいまいで、時につまらない言葉。意味があるようなないような、だけどやっぱり意味のある言葉が発せられるのを見て、落ち着くのかもしれない。その世界が自然のように感じられるのかもしれない。今で2000文字と少し。ぼくの胸の内だかが2000文字になった。だから何だ? なんということもない。おしりくんが起きてきて、ぼくを一瞥し、今は水を飲んでいる。おしりくんがいる暮らし。彼は昨年末死にそうになった。いや、彼を殺してしまうところだった。ある日から食事をしなくなって、水も飲まなくなって、でも、大丈夫だろう、と気楽に構えているうち、どんどん衰弱していった。すぐに病院へ連れて行こうと思ったが、ミッチーもぼくも、病院に対して不信感のようなものがあったのだと思う、すぐには連れて行かなかった。去年、かみちゃんが死んだ。かみちゃんも同じように衰弱していって、だけど病院の言う通りに治療をし、入院をし、手術をしたけれど、手術から10日もしないうちに死んでしまった。あのときの絶望的な気持ちは、人生でもほかにないくらいの強烈さだった。もう二度とごめんだ、と思ったが、猫はほかにも何匹もいて、おそらくはぼくよりも早く死んでいくだろう。そのように思ったら、生きていくことをとてもとても怖いと感じた。逃げたいと思った。だけど逃げることもできない。生き地獄にいるような気分になったのは、去年の春。

 

 おしりくんは、生きている。おしりくんの命をこの世につなぎとめてくれたのは病院だった。結局、病院へ連れて行った。為すすべがなかったのだ、家庭では。だから、いろんな覚悟をして病院へ。すると、その夜から水を飲み始め、じょじょにじょじょに回復をし、今日に至る。本当に生きていてくれてうれしい。おしりくんが何をするわけではない。むしろこちらが世話をしている。糞尿の始末をし、食事を与え、撫でたりなどもし、毎日彼のために時間を費やしている。彼がすることといったら、グルグルと音を奏でることくらい。その音を、彼のよろこびのサインと捉え、ぼくもホッとしたりよろこんでいるわけだけど、それくらいのこと。でも、彼が生きていることがうれしい。映画に描かれていたのもそのようなことだったのかもしれないと今思った。なにがあるわけでもない。だけど生きている、生きていくことをつづけていく人々の姿。地味な毎日。そこにある地味だけどキラキラしたある瞬間。出来事の集積。いちばん印象に残っているセリフは、樹木希林が言った、「海よりも深く人を好きになったことが私はない。あなたもないでしょう?」みたいなセリフ。これは、録画をしてあるのだからまた見よう、また見たいと思ったけれど、ミッチーは消してしまった。消さないで、と言うことはできた。でも、消されるものは消されていいか、と思った。世の中にはいろんなツールがある。もしもどうしてももう一度観たくなったらそれを叶える方法はいくつもある。だから消されてもいいや、と思った。

 

 たしかに「海よりも深く人を愛する」経験などない。そして、今ないのだったらこの先もないような気がした。簡単に「愛する」などと言えるけれど、それを経験できる人はかぎられているのかもしれない。ありふれていて、だからたやすいことのように見えて、実はとても希少なことっていろいろとあるのだろう。なんだかそのセリフを聞いて、ぼくは自分がどこか他人事のように自分の人生を生きているのかもしれないと感じた。「いつか、ぼくの人生にも、よく歌に歌われているような“深い愛”を知る日がくるだろう、そのうちにきて、それを知ってからいつか死ぬのだろう」、そんな風にぼんやりと思っていた自分に気がついた。でも、そういうものではないのだろう。能動的に生きたとて、そうしたことが人生に起こるかどうかはわからない。まさに縁というものなのかもしれない。自分のあたりまえのように思っていることを客観できる機会とはありがたい。あの映画はぼくには、そのように働くものだったと思う。だから、ありがたい映画だった。


時間

 

こんにちは。

最近、Instagramのほうで、

そこにあるストーリーという24時間で消えてしまう機能にて、文章を連日投稿しています。

ふと思いついてやってみたら、なんか面白くって、やっています。

もしご興味あったら、みてみてください。

nomurakouheinoって名前でやっています。

 

その文章は、自問自答というか、

とにかく毎日のようにパソコンをひらき、

その瞬間に思い浮かぶものをタイプしつづけた「アタシ問答」という作品で、

かれこれ今から7、8年前のものです。

 

 

文中に「35年間生きてきて」みたいなことが書かれていて、ちょっとドキっとした。

なんというか、当たり前なのだけど、自分にも35才があったのだなあ、ってドキっとした。

でも、別に、それ以外の感情はなかった。

若くていいなとか、戻りたいなとか、そうしたものは一切なくて、

その自分の潔さ、すてきだな、と思った。

 

なんで戻りたいとか思わないかというと、理由はもちろんひとつきりではないが、

文章を久しぶりに読み返していて、当時の自分と今の自分の違いをくっきりと感じたことが大きい。

似て非なるわたしなのだ。

 

当時の自分は、怒りやら悲しみやらがふつふつとそこにあって、毎日思いつめている感じがある。

今のぼくは、そういう感情があまりわいてこない。

いや、わいてくるのだけど、あの頃よりもタイムラグがなくわいてくるというか、

その場その時に「あ、自分は怒ってる」と気がつけるようになって、

だからか、そこまで怒りがあとをひかないし、ふりまわされない。悲しみも同様。

 

その変化を進化と自分は捉えているけど、べつに、

今がよくてあの頃がよくないということではない。

 

怒ったり悲しんだり、なにかに気づいてよろこんだりしている35才のぼくは、

43才のぼくからみると、エネルギッシュと感じる。

戻りたくはないし、うらやましくもないけど、「あなた、いいねえ」って思う。

 

そんなわけで、目下は、文章をアップする作業を通じて、

過去との時空をこえた旅というか、かつての自分と文通をしているようなこの頃。

いつかの自分の文章は、青くさく思えて恥ずかしいのだけど、

でも、今にはない魅力も感じる。

 

きっと、今日のこうした文章も50代となった自分がみたら、

青くさくて恥ずかしいな、と消したくなるけど、きっと消さないのだろう。


いつかのアタシ問答

 この間の会合や、すーさんとの会話で感じた違和感のおおもとにあるのは、「世の中」という実体のないものを「自分」という実体のある(?)ものよりも優先させている、ということだ、と、ミッチーに話しながら気がついた。自分の世界とは別に「世の中」というものが存在しているなんて実は嘘なのではないか、と思う。「世の中」の姿なんてどこにもないし、どこにいってもたしかめようがない。けれど「世の中」はマスコミや人の噂話などを通じて、私たちにあれこれと言ってくる。勝ち組、負け組、婚活、不況、韓流などなどなど。それが自分に必要な考え方であるか、自分に力をくれる言葉か、が、自分の人生にとっては大事なことであり、「世の中」がそうであるから私もこうしなくては、こういうものなのだ、と思うのは何かが決定的におかしい、と思う。今、自殺が大ブームです! なんてテレビやネットで後押しされたら死にたくもないのに死ぬのだろうか。ぼくはだから、ふーん、でいい。へー、そうなんだ。で、いい。世の中で何が流行っているかよりも自分のなかで何が大事かを注意深く眺めていたい。そうでなければ誰の人生なのか。この私での人生はたったの一度きり。そして、いつその幕がどのように下りるかを知ることなく生きるのが人生。2分後に死ぬかもしれない。1年後に死ぬかもしれない。それなのに、ブームだからといってしたくない結婚などする必要がどこにあるのだろうか。老後の心配をどうしてできるのだろう。そもそも老後とはいつからのこと?

いつかの自問自答


質問。
ぼくはこの先どんな人生を歩みたいのでしょうか。

ふと、コンビニへファックスをしに向かう道々、
その冬の空と、町の音と、空気の冷たさと、平凡な一軒家の瓦屋根をみて、
子供の頃の自分とつながった。
子供のぼくと出会う時間は心地よい。
自由を思い出す。
毎日になにひとつのプレッシャーもなかった時代。

ぼくは、あれ? って思った。
もっと自由な、
自分の毎日を愛せるような人生がこの世界にはあるんじゃないか? って思った。
なににも脅えない毎日が。

そんな世界をつくるのは自分しかいないということはわかる。
ぼくは、ぼくのために毎日なにをすればいいんだろう。
まずは今日、いや今なにを。



 

いつかの日記のようななにかその2

きのう、皿洗いをしながらうかんだこと。

神様が、無からわたしたち人間をつくったのだとして。
出発点は神様なわけだ。

神様が分裂して、神様の延長線上のものとして、一部としてわたしたちがある。
そうして無からなにかが一つ生まれ、
それが分裂して広がっていき、人間になるのだとしたら、
人間は神様ということだ。
違うけれど違わない、いっしょ。

生まれて、神様であることを大人は教えてくれず、
社会や常識や教育などで、私たちは人間なのだと教えられる。
そうするとできることに限りが生まれる。
人間という枠が、神様との境界線が生まれる。
だけど、やっぱり人間は神様なわけだから、本当の、軸の部分は変わらず神のまま。

知識を得て、身体に垢がつくようにいろんな偏見をこびりつかせて、
個人というさらに小さい枠のなかに入っていく。
できることがどんどん狭まっていく。

でも、人生はつづく。
生きても生きても死なない。
死ぬときまでは生き続けなくてはいけない。

なんのため? お金を得ること? いえ、違う。

お金は人間がつくったものだ。
そして形のあるもの。

ある限られた、
その目に見える「お金」という約束事が通じない世界だって地球には存在する。
そんな一部のお約束事のようなそれのために人生があるわけはない。
もっと普遍的。

人は、ぼくは、もう一度神様になるために、
神様に戻るために生きているのではなかろうか。

神とはいったい何なのだろう? 
神様はきっと、圧倒的に自由なのだと思う。

この地球が、人間の手により日々大変なことになっているといわれるけれど、
人間からその自由を奪うことはしない。
自由。

自由を与えられるのは、愛しているからだ。
愛は相手に自由を与える。
ありのままの、そのままの、あなたでいることを許す。
人が神様になるとき、その人は圧倒的に自由で、圧倒的な愛のかたまりなのだと思う。思った。

だからまず、圧倒的に自分を愛そう。
愛し尽くして、愛でいっぱいになって、愛そのものになったとき、
愛のかたまりは、愛を放射して世界をあかるく照らす。


 

3年前くらいの日記のようなもの

小松さんは、大阪から4時間半くらいかけて車でやってきていたのだけど、出発は朝の7時だったこの日の帰りに、帰り道にある徳島のたこを食べさせる居酒屋に寄ろうと計画をしているとのことだった。それから、スパミシュランという全国各地の温泉を個人的に採点している人のホームページにのっていた徳島のよさそうな銭湯にも寄っていこうとしていた。驚き。朝早くからやってきて、撮影をして、苔筵まで往復3時間くらい運転をし、というか1日ずっと運転をし続けた帰り道に温泉。眠くなりそう。帰るの面倒になりそう。ぼくなど、そそと飛行機で帰宅しようとしていたのになんというフットワークの軽さ。でも、それはとても小松さんらしい帰り道だと思った。なんというかエネルギーにあふれているのだ、この人は。そして、たのしそう。「嫌なことをひとつもしていないから疲れてなんていませんよ。帰り道のそのたこの店は、びっくりするくらいたこが美味しくて、もう一度食べておきたいな、って。ずっと運転をしているけど、合間に休憩があるでしょ? そこで美味しいものを食べたりとかしていると嬉しいし、元気になる。疲れがなくなる。銭湯で休んで疲れをとって、たこを食べて疲れをとって、だから全然疲れません。いざとなったら駐車して後部座席で寝ればいいだけですもん。そう思っているから眠くならないのかもしれないですね」。なんか、哲学。人生哲学だ。たのしいからする。たのしめなくなる前に休憩をいれる。それでも疲れてしまったら休む。単純。本当のことはきっと、うんと単純なのだと思う。神様がなにか大事なことを教えるときに、長々と話すとは思えない。

けっきょく買ったカメラのことなど



私アーカイブより



いつかの火曜の朝に



 きょうは火曜日。朝、9時23分である。快晴。さっそく洗濯機をまわし、ゴミを出し、新聞に目をとおし、ハーブティーを飲み、今。今日も目のまわりがなんだかベタベタする。花粉症だろうか。やはり。きのうは長い一日だった。4時半に起き、仕事へ出かけるミッチーと時間を過ごしまた少し寝て、仕事へ。松竹の稽古場で歌舞伎の稽古の取材。広くはないそこの隅っこで正座をしてみた。だいたい3時間くらい。あたりまえのことだろうが、大勢の人が情熱をもってひとつの作品をつくっているのだなあ、と思う。思った。そこにあるのは、よりよいものにしようという意志。だけど、その熱に、温度差はあるのかもしれない。わからないけれど。とにかく勘九郎さんのエネルギーはすごかった。とても生き生きとしていて、場を盛り上げる。座頭というのはそういうものなのかもしれない。膨大なセリフのほとんどがもう頭なのか身体なのかに入っている様子。長いセリフもすらすらと噛むこともなく言う。すごいなあ、と思った。稽古の終盤、子役が何人か登場。まだ幼稚園か、小学1年生くらいの男の子が、「父の敵〜!」とか言わされて、芝居に参加していた。言っているというより言わされている感じ。彼らはそうしていつか歌舞伎役者になるのだろうか。そういう人生。レールがもう敷かれている。そのようにして勘九郎さんも七之助さんも幼き頃からずっとやってきたのだ。長い長い年月を経て、そうした人に、身体に心になったのだろう、演じるということが息を吸うのと同じくらい必要で、あたりまえの人生。そのようにしてなにかをあきらめ、なにかを手にし、彼らのような歌舞伎役者や歌舞伎をつくる人々がいて今日も歌舞伎が存在している。なんだかありがたいな、と思った。この、若いお弟子さん、若くもなさそうなお弟子さん、禿げ上がった頭の小太りの人、どこにでもいそうなこうした人たちがいつかの時に「歌舞伎に携わる」と決め、ここにいるのだろう。あたりまえにあるのではない、と勘九郎さんは取材のときに話をしてくれたが、本当にそうなのだろう。みんなが、その気持ちで、志で、人生をかけて存続させているものなのだ。ぼくは、それを隅っこでみている。やる人がいたら観る人も必要。ぼくはその観る人を増やす手伝いをする人なのだ。ぼくの今している記者という仕事はそういう仕事だ。あるものをみんなの代表の一人として体験し、拝見し、経験し、お会いし、それをみんなに伝える仕事。どんなものであれ、それをつくる人たちのエネルギーが注がれている。そのことを大切に、記事を書きたい。

 

 夕べ、ひさびさ編集部へ行き、送本作業などをこなす。ミッチーが夜9時頃に仕事が終わる予定だったので、8時前には編集部をでて新宿をブラブラ。たくさん惹かれるものがあったが、どれも買うというところまではいかなかった。ある意味、夢見がちではなくなったのかもしれない。これがあったらいいだろう、と瞬間思うけれど、その夢の現実をすでに知っている。これまでの経験で、これくらいの熱だとこんな感じになる、とわかっている。でも、それ、ほんとうにわかっているのとは違う。予測だ。あくまでも予測なのだからトライしてみようか。ぜんぶ? 気になったものをぜんぶ買うの? うむ。そうした問答を心で繰り返し、けっきょく買わなかったのが昨日。ただ、最後に入ったディーン&デルーカで初めて自分の買い物をした。人のためや仕事のためには買ったことがあると思うが、初めてのわたしの買い物は、玄米麹シロップみたいなのとハーブティー。このところ、ほんとにそういうものに関心がいく。家でたのしめるからだによさそうな飲食物。今日、二台目の炊飯器が届く予定。これで、毎日酵素玄米生活がはじまるはず。わくわく。たのしみ。けっきょくミッチーは11時近くまで仕事がかかり、新宿の街には雨までふりだした。そして寒い。なんだか疲れてしまったけれど、車に乗り込んだら安心がやってきてゆるんだ。


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