きのうのことを書いておこう。「ハワイのこと」に取り掛かったら夢中になった。
みっちーが朝早くに出かけていったこともあり午前中から書き始めたら、なんだか興奮し、
お昼もとらずにずっと書いていた。
書いている時間というのは、ふしぎなことにハワイに意識が飛んでいる。
10年前の時間を生きながら肉体は2020年にあるその感覚がたぶんすごく心地良いのだろう。
そして、当時は書けなかったことが今は書けるようになっていることを知る。
それは技術の話ではなく、心の問題。
あの頃はまだ受け入れることができなかったことや、見つめることのできなかったものが、
時を重ねた今は、当たり前のようなものとなって、言葉にできる。
そうして当時の言語化不能なこと、未消化なものを今の自分が言葉にしていくことで、
10歳若いあの日の自分が癒されていくのを感じた。
当時の自分を「それでいいんだよ」と受け止めてあげている印象。
書くことはやはりセラピーなのだな。
使命を探る1日の終わりに、とにかく言葉にしたものは、
「目に見えないものを、よろこびとともに目に見える形にする」というもの。
しっくりきている。さまざまな点が線となっていくのを感じる。
手段はだからなんでもいいのだな。絵でも言葉でもその他のなんでも。
ただ、今日のぼくは文章が面白い。
ふしぎだ。
この何年も敬遠していたというか、あまり大切に思えていなかった作文が、
ここへきて、その存在感を一気に強めている。
*
今日のレッスン「ターニングポイントを探る」で真っ先に出てくることは、大学を中退したことだ。
おそらく前回も前々回も同じことを書いたと思う。それくらい決定的な転機だった。
完全にあそこから人生の流れが変わった。
ものすごく恐怖して、だけど抗えず中退をさせてもらい、専門学校へ進んだことは、
ぼくにとってそれまでの「常識」や「こういうもの」という世界観を覆した。
角度でいうと、180度の転換だったと思う。
あれがなかったら、と考えてもよくわからない。
あそこで辞めなかった人生に興味がない。
それから昨日ぶっしーが何かの話の流れから、
もしノムが「女性自身」の専属記者を続けていたら、という仮定のたとえ話をするのを聞き、
その未来を先ほど一瞬想像してみたが、それはやはりないことだったと思う。
お金を今の10倍近く稼ぐくらいのフル稼働をしていたとして、そのぼくはお金を何に使うだろう? と想像すると、
どう考えても、遅かれ早かれスピリチュアルというか精神世界に投じたと思う。
休みのたびに海外旅行へ行きまくるとか、マンションを購入とか、どこかへ留学とか、
そのようなことは、やはりなかったと思う。
精神世界に興味をもたず、そのようなことにお金やエネルギーを投じない自分がもしもいたら、
それは、今の、ぼくの知る自分ではない。
それはネガティブでもポジティブでもなく、ただ、自分とは違う人と感じる。
心や目に見えない世界は昔から好きだったし興味をもっていた。
そこに目を向けずに、外側の「海外」や「家」などに向く自分がもしもいたら、
その自分とは、きっとハッピーな自分な気がする。
自分と向き合いたくなくて外側に目をそらせるような感性ではない。
外側の充実を40代まで求めていられる自分とは、たぶん、内側が満たされている、整っている自分だと思う。
そして、そのようなハッピーな自分は、やはり、あのまま専属記者をつづけ、
日常的に働く日々では得られなかったと思う。
どのみちどこかで精神世界に傾倒し、仕事以上に自分と向き合う機会を求めただろう。
ifの話はifの話でしかないけれど、そう思う。
だから、専属記者を辞めた、毎日働くことが普通、という人生を辞めたことも、
ぼくにとって、ものすごく大きなターニングポイントだった。
その二つのTPで得られたものは、たぶん自信。
自分を信じる心だと思う。
自分がそうしたい! と、葛藤に葛藤を重ねた上で決めた選択は、信じるに値するということ。
飛び込む前は不安や恐れでいっぱいだけれど、飛び込んでみたらなんとかなった。
その2つの大きなジャンプを経たことで、2015年に一度仕事をすべてやめることもできたのだろう。
3つめの転機は、2015年の仕事をすべてやめたこと。
結局半年後には仕事の依頼があり、ライターを再開したわけだけど、
今書いていて気がついたことに、専属記者を辞めたときも、2015年のときも、
どちらもライター復帰のきっかけになったものは、それまでとは違う仕事だった。
そして、どちらも劇団四季の仕事だった!
なんというご縁。
仕事の流れや質を変えたくて辞めたわけではない。ただ、どうしてもそうしたかったからした。
結果、そこから自分の仕事の流れや、取り組み方などが変わった。
書くという仕事をずっと続けているが、大きくその仕事に変化をもたらせた。結果、そうなった。
こうして振り返ってみると、挑戦というか冒険がぼくの人生を大きく動かしている。
自分が決断したことがターニングポイントとなっている。
たとえば、事故に遭うとか、誰かに認められるといった、やってきたことではなく、
自分が能動的に選んだその決断が、そうしたことの前にあった。
あとは、恋愛というのも、ぼくの人生に大きな影響を及ぼしているものかもしれない。
ミッチーと出会ったことはいちばん大きなことだけど、それ以前の恋愛も、
いや「恋愛」というよりは、お付き合いだな。
ぼくになんらかの強いものをもたらすのは、ちゃんと「付き合った」関係の人が大きい。
とくに、別れを決めたり切り出したり切り出されたりした時というのが、分岐点感が強い。
はじめは、軽いのだ、ぼくは。気軽に始める。さくっと付き合う。
そこはいい。だけど、どの人とも別れの時は、重かった。いつもしんどく別れ、
結果、誰とも今は交流が一切ない。
元彼と友だち、みたいなことにはまったくならない。
その”決別”的な別れゆえ、より分岐点感が増すのかもしれない。
友人関係は基本、「断つ」とか「切る」みたいな発想をしない。去る者追わずではないが、
そのような流れに自然となっていく人がほとんどで、それに対してなんとかしようと思うことがほとんどない。
それは、関係が変わらざるをえないというか、関係、距離感を変えたいという感情が、
たとえあちらからそれを発していたとしても、同時にぼくもそれを感じているのだと思う。
そこのズレは、たぶん大きくないタイプの人間。だから、自然と距離感が変わる。
ターニングポイントで言えば、Xさんとは友人だったけれど、意識的に、心を決めて関係を変えた。
あれは、まぎれもなく人生の大きな転機だった。
なぜかというと、学校や仕事を辞めることは環境を変えることで、それをすることの抵抗は、
自分のその後への不安や恐れによるものだけど、
対人間の場合は、そこに軋轢というのか、遺恨が残りやすく思う。
できればそのようなことはせず、自然にフェードアウトさせたい。
恋愛の場合はしかたがない。一応「付き合いましょう」という言葉による契約を結ぶのだから、
それを解消するには、ふたたび”解消”の契約を交わさないとならない。
それを当然と思うから、しんどくてもやる。きっちり別れを告げるというその行為には抵抗がない。
が、友人関係の場合は、そういうものとは違う。だから、思えば、あれが人生で初のケースだったのだな。
ぼくは長いメールを書いて、送った。そこにはっきりと「関係を変えたい」と書いた。
どうにもそれまでの関係が苦しくなっていた。
が、双方にそれがあったわけではきっとなかった。だから、自分が切り出すしかなかった。
その選択で得たものとはなんだろう? 自由だ。心の自由を確実に得た。
ぼくをジャッジする権利を持つ人がいなくなった。いや、もともとそのような権利はないけれど、
当時の自分は、完全に相手にその権利を渡していた。
そうなると、自分のやることなすことに正否の判定をくだされる。
自分こそがそれをされることを当然と考えている。
それでは自由はない。自由になにかをしようと思っても、
それを否定されたら、即座に「自分は間違っていた」と思うのだった。
もし、あの決別がなければ、絵などとても描けたものではない。
絶対はないが、絶対に今のように絵を描いてはいなかったと思う。
こうした文章は、当時も書いていたけれど、それを人目にさらす際には、
いつもXさんに何を言われるのかを気にしていた。
褒められたいという気持ちもあったと思う。が、怒られないかの心配の方が100倍くらい大きかった。
失敗しないように、間違わないように、怒られないようにした何かは、
自分が始めたことであっても、自分のものとは違う。違うことはないが、純度は下がる。
人に気に入られるように、受け入れられるようにとつくるものは、アートとは違うものだろう。
そう思うと、あれも、まぎれもなく超転機だったのだな。
そこには超勇気が必要だったし、その後も長年にわたり自分を癒す必要があった。
習慣とはそういうものだ。
専属記者を辞めてからも何年も締め切りの木曜日になるとそわそわした。
ああ、今頃は編集部でみんなが働いているのだろうな、と、ヴィジョンがわいてきた。
今はもうそれを思うことはない。ちょうど今年で辞めて10年になるのかもしれない。
Xさんとのことも、その存在を日常的に気にしなくなるまで何年もかかった。
今も100%消え去ってはいない。まだ、うっすらとつながりはある。
そのつながりさえも断つことが自分の本心なのかがずっとわからない。
たぶん、そういうことではないのだと思う。
双方にとっていい気持ちで付き合える距離感、関係としてつながっていたいのかもしれない。
その距離感が、今のこの状態なのかもしれない、と今思った。
そう、だから、別にこれでいいのだな。
数年に1度くらい連絡があって、それに応えたりして、そういう距離感で。
そこに対して、断ち切らなくてはと思うことも、もっと密になったほうがいいのかも、と思う必要もない。
変化は無理に起こすことではない。
上にあげたどのTPも、やはり自分の決断、選択によるものだった。
それから、それをする前には、当たり前だけど、必ず自分の内側にその種があった。
「こうしたい」という気持ちがあった。それは強いものだった。
それは、選択肢があるようでないものだった。自分の中で「ねばならない」というものだった。
今、書いていて、もっと自分を信頼しようと思った。
信頼していいだけの実績があるじゃないか、と思った。
信頼には実績などいらないのかもしれないけれど。
それからTPは、一瞬でやってきて瞬間的、瞬発的に決めなくてはならないというものではなく、
選択をするにふさわしいだけの猶予が与えられているものかもしれない。絶対的に