15年間

 

禁断の長袖を着てしまった。

ああ、本当に夏が終わった。そのような気分の今朝。

しかし、久しぶりの長袖は、そう悪くはなかった。

これから冬がやってくる。

それもいいかもね、と思えた。

 

庭の草木のほとんどが枯れて葉を落とし、緑の庭が茶色になっていく。

空の青には灰色が混じっていき、淋しげではあるけれど、希望を手放すすがすがしさのようでもある。

年をとるということは、世界から色が薄らいでいくことなのかもしれないが、

それはあらたな色、あらたな世界の発見でもあるのだろう。

 

この数ヶ月に、映画をレンタルしてたくさん観ている。

昨夜はセドリック・クラピッシュ監督の「ニューヨークの巴里男」という映画。

これは、「スパニッシュ・アパートメント」、「ロシアンドールズ」と合わせて、

監督の青春三部作みたいに言われているらしい。

同じ登場人物の15年が描かれているが、出演者も相応に年をとっていて、そこにリアルがある。

 

25歳の彼らと30代の彼らと40歳の彼らを連続的に見て、

ほとんど共通点などないともいえる人々だけど、わかる、と思った。

25のぼくは、初めて就職みたいなことをして、恋人ができて実家を出て、とてもエキサイティングなその毎日は、

毎日誰かと会って電話してメールしてお酒を飲んで外食して日々パーティーだったが、

44のぼくは、世界の事情もあるが、ほとんど彼としか会っていない、外食は稀。

何かを基準に置くと、その変化を「進化」とも「劣化」ともいえるだろうが、

あの頃と今を秤にかけるたしかな基準が浮かばない。

 

映画は一応三部作の完結編という雰囲気だけど、つづく気がする。

というか、つづいて欲しい。

いつになるかわからないが次回作は、彼と一緒に映画館で観るつもり。

大規模に公開されないだろうから、新宿あたりまで観に行くことになるのだろうな。

なんとなく15時くらいの回を観て、早めの夕飯を都心の友だちと食べて帰るのも楽しそうだが、

アラフィフだろうぼくは案外、午前中の回に席をとり、ふたりでランチをして帰るかもしれない。

 

外側からひと息に15年を鑑賞し、時間が流れていく「人生」と名付けられたこの経験を、

あらためて不思議、と思った。

50代が、なんとなく具体的に迫ってきた感じがした。

命が尽きなければやってくるニューフェイズは、どんな様相をしているのだろう?

体は重たく、腰も重く、ますます引きこもり、静かに地味に穏やかに暮らしているというのは、仮定。

それを選ばなくてもいい。

 

今日の自分は、最新系にしてある意味もっとも古い。

どうにも動かしようのないことはあるだろうが、個人に委ねられた部分も大きいだろう。

穏やかは歓迎だけど、なんか、みなぎっていたいな。精神も肉体もワクワクはずんでいる。

そのために、逆算して、コツコツ積み重ねていかないと手に入らないものはなんだろうか?

 

 

ああ、いい映画だった。

二作目の「ロシアンドールズ」はちょっと地に足が着いていない出来栄えと思ったが、

終わり良ければ全てよしとはこのこと。

というか、これは3本で一つの作品。

映っている部分だけの映画ではなく、

監督、スタッフ、キャストたちの実人生が否応なしに含まれてしまう壮大な作品でもある。

なんとありがたいのでしょう。


ストレンジライブ

 

さっき、昨夜見つけたユーミンの20年前のすごいライブ動画を貼ろうと思ったら、もう無かった。

削除されてしまった。ぜひ、誰かと共有したかった!

風呂でそれを見始めて、たまらずミッチーにlineをしてしまったほど。

 

妙だったそのライブというかコンサートは、

レッドカーペットをたくさんの芸能人やスポーツ選手が歩いてどこかのホールに入場し、

ほかのことでいうなら、昔のFNS歌謡祭とか日本アカデミー賞みたいな感じに、客席には芸能人ばかり。

 

さらにはユーミンは歌うだけでなく回し役となり、会場の芸能人たちに自分の楽曲の中で何が好きかを聞いたり、

会場から石田純一(with長谷川理恵)、林真理子、天海祐希をピックアップして、

ユーミンのピアノで彼らが歌ったりもしていた。

書いていくとキリがないくらい見どころたくさん。とにかく妙だった。面白かった。

 

クローズアップされないが堺正章がいたり、

YOSHIKIが演奏するためのスケルトンピアノを運ぶ役として

大林宣彦、間寛平、鳥越俊一などがステージに上げられたり(みな、ドレスコードでタキシード着用)。

芸能人の超豪華結婚式中継のようだった。

これ、席順とか、誰をどのようにピックアップするかと

そうした根回し作業がものすごく面倒くさいだろうなあ。

 

ミッチーからの返事には(広くはない家だけどたまにlineで会話をする)、

「(ユーミン)すごい自信だね」とあったけど、同感。

そして、その自信はどこからくるのだろう、と思った。

 

音声だけはYouTubeにあったので、一応貼ってみます。

がしかし、これは映像込みでぜひ見ていただきたい(またアップされる気がする)。

2000年の空気、芸能界の空気がものすごく伝わってくる。

 

 

ユーミンって、いろんな意味でほんとにすごいな、とあらためて。

 

お酒飲みながら友だちとこのストレンジライブをぶつくさ観賞したいなー、と思いました。

とにかく、そういうのお好きな方にはぜひ見て(聴いて)もらいたい。


ビューティフルのシェア

 

滝にふれながら、「このエネルギーを憶えておこう」と意図した。

欲しいときに引き出しからそっと取り出せるような感じに、エネルギーを記憶倉庫に取り込んだ。

 

滝のエネルギーを言語化してみると、

無条件に飛び込む、飛び出す、全託、全幅の信頼。

勢いにまかせる、流れを疑わない、常にとどまることはできないしそれを求める必要はない。

どのような瞬間も大きな流れの中のプロセスであり、等しく価値がある。

流れの激しい時と、緩やかな時があり、どちらが良いということもない。

潔さとは、それだけでとても尊い。

わたしたちは全体の一部であり全部である。

美しいものは惹きつける。

美しいものに惹きつけられるとき、惹きつけられるものの美しさを輝かせる(活性させる)。

タイミングとは絶対、いかなるときもより大きな目で見れば完全で、最善最適である。

 

たとえば、思考を使ってこのように言葉に置き換えることはできるけど、

言葉とそのものはもちろんイコールではない。

それを知るには、体験、体感するしかない。

だから、結局、また滝へ行くしかない。

でも、写真やら言葉やら映像やらに便宜的に変換することは有効。

体験した当時の感覚、自分の内部に発生したエネルギーのようなものを、

変換されたものを足がかりに再生することはできる(完全に同じではなくても)。

言葉や写真などで、ぼくの感じ受け取ったそれの一部をシェアすることもできる。

 

 

ということで、ここにおすそわけ。


one day

 

 

 

久しぶりに出かけた。

彼の誕生日の祝いとして、彼の「滝へ行きたい」という夢を叶えた。

夢なんて言うと大袈裟かもだけど、夢にサイズなどないのでしょう。夢は夢。

 

滝は本当に気持ちが良くて、びっくりした。

なんだか珍しく朝からお腹の調子がおかしく、いつにも増して眠く、だるかったが、

滝への滝道(山道みたいな意味の造語です......)を行くうち、みるみる気分が良くなり、

滝が見えてきたら、駆け出したいくらいの心地になっていた。

 

忘れていた。すっかり忘れていたけれど、自然にはそうしたパワーがあるのだよね。

実にありがたいなあ、と思った。

だって、No努力で、ただ歩いているだけで、気持ちがよくなってしまうのだもの、すごい。

ぼくの山奥に暮らしたい、ポツンと一軒家願望は、そこからくるのだと気がついた。

活力を無条件にいただける環境に暮らしたいのだね、私のどこかは。

でも、今はそのようなフェーズにない。

元野良猫のアンくんを置いていくことなどできないというか、それをぼくは選ばない。

それから、隣に暮らす家族とも友だちとも違う、筆舌しがたい関係の大家さんの存在もまた、

ぼくがここで生きるもう一つの要素。

だけど、山奥暮らしの願望は確かに強くあるし、おそらくずっと憧れ続けるのだろうと思う。

いつかその夢を叶えるかもしれないし、夢は夢のままで終わるかもしれない。

それは、どちらでもいいこと、と今日のぼくは思う。

 

さて、それはそうとして、滝を離れた人里にも、素敵な風景はあるのだなとあらためて感じた。

人間の、人工の美しさだって、ある。

本日は、そういう写真3点をアップしてみました。


徒然

 

ぼくは時々、Instagramのストーリーズという24時間で消える場所に投稿をしている。

人によっては、「消えてしまう場所に投稿する意味がわからない」そうだけど、

ぼくにとっては、期間限定で消え去るくらいがちょうどいい。

それ以上に、いいねボタンがないところが気楽で、そこを好んでいる。

「いいね」って評価だものね。

評価をされるということは、評価をされないということと表裏で、

評価をされたいという自分がどうしてもいるし、評価をされないことに沈む自分もいる。

だから、”評価”のないストーリーズは、のびのびできる。

 

さて、過日、この投稿をそこにしましたところ、

もう10年とか会っていない、一切やりとりない友人? 知人? より、嬉しい反応があった。

彼の状況はインスタで見ているので、

彼が、ぼくと同じように動物の世話をし、ひとりの人と長く付き合っていることを知っている。

このぼくのある日の記録は、わからないが、彼のために書かれたものだったのかもしれない、なんて思った。

なぜだかぼくが、彼へのメッセージを受信したということ。

 

でも、表現って、そういうものなのかもしれないな、と思う。

自分が媒介となり、誰かの内に不可視の状態であったものを、可視化する。

誰かの(この誰かには自分も含まれている)代表となってアウトプットする。

そのように表現を捉えてみると、評価を恐れて躊躇しているのは違うかな、と思ったりする。

 

 

乳首の位置が妙な絵。

これも誰かの琴線にふれることがあるのかしら。


セレブレーション!

 

夕食後、彼が「サプライズ!」みたいにしてキッチンよりこれを運んできた。

一瞬、なにが起こっているのかわからなかった。

ぼくのグレゴリオ暦の誕生日でも彼のそれでもないし、マヤ暦バースデーでもないし、what??

果たしてそれは、ぼくらの友人、Nadiaのバースデーであった(正確には11日生まれだけど)。

 

オンラインでNadiaと繋がっていているわけでもないし、たぶん彼女に写真を送ることもしていない。

ただ、ただ、勝手にケーキプレートを作り、勝手にロウソクを吹き消して、

なにごとでもないように彼はケーキを食べ始め、食べ終えた。

 

しばしフリーズしてしまった、意味がわからなくって。

そして、なんと豊かな人だろう、と思った。

 

うまく言えないけど、ぼくもそんな風に生きていこうと思った。

誰かに勝手に祝福を贈る人生。


シー・イズ・クレイジー

 

いとおかし、で思い出したけど、

いとおかしというか、おかしすぎというか、頭おかしいお二人。

何かの番組で、この二人がフリーマーケットを隣同士で出店しているコントがあり、最高だった。

誰か、YouTubeにアップしてくれないかなあ。

このインスタライブみたいなのとやってることは同じだけど、

フリマという場が、この二人の「いそう」感を高めていて、相当面白かった。

(フリマのだと「またこの人と会っちゃった」みたいな、知人未満的な間柄を想像できて、それが面白さを増幅させる)

 

友近の、ヘア&メイクすばらしいよね、繊細な表情作りもグレイト。

友近のリモートでの試みは、どれもありがたい。

どれも、彼女が家でセンスの合う姉とやっていたようなことなのだろうな、と想像。

家庭でのスーパーニッチな遊びが、全国区になるということに、

ものづくりの真髄みたいなものを思う。

 

 

このコント、何回見てもニヤニヤしてしまう。相手役も完璧。


てへ

 

てへ、という気持ちです。

この間ここに書いたことについて、ちょっと反省のようなものをしていて、

それは、外側に何かを求めることは婉曲的なのでは? というものについてなのですが、

なんというか、外側を楽しむことが人間だよな、と。

豊かなバリエーションを五感を使って味わうことこそ人間体験だよな、と思い直したのであります。

 

それはそうと、てへ、ってすごくないですか。

「て」と「へ」を組み合わせると、「てへ」という、ユニークな感情というか状態を表現できるのですものね。

恥ずかしいような、うっかりみたいな、反省的な気持ちをたった二文字で表現できる。

というか、その短い音の響きで、内的なものを伝達、共有することができる。

言葉というものの不思議で、凄まじい便利さを思う。

 

絵は、セクシーな男子の写真を見ながら描きましたが、

てへ、というキャプションを添えると、そのように見えてしまう。

そんなつもりで描いていないけど、なんだか今日のこの気分を表すのに最適すぎて、

予知夢みたいというか、預言的で、いとおかし。


よろこびの自給自足

 

先日ここに予告などをした友人とのおしゃべりはとても楽しかった。

ほぼノンストップで話したり聞いたりの約2時間はあっという間だった。

 

文章でのやりとりも彼女とは全然していなかったから比較にならないけど、

とても久々なその長電話に思ったことは、

おしゃべりは、会話を一緒に構築していくことができるんだな、というもの。

もちろんメールやLINEでもそれはできなくはない。

だけど、それをするには双方にその意識がないとむつかしい(これは電話もそうだけど)。

そして、文章のやりとりでそれをしようとすると、文章はどんどん長くなり、

その長文を人様に読ませられる程度には整えよう、と意識すると、なかなかの労力が必要。

さらに、その労力をかけたことを相手側が感知、キャッチしてくれていないと感じると、徒労感をおぼえる。

というようなこともあり、おしゃべりよりもある部分でのハードルが、

自分にとっては高いのだな、ということに気がついた。

 

会話の構築とはどんなことを言っているのかというと、

なんというのでしょう、たとえば彼女のモヤモヤを聞いているうちに自分のモヤモヤを思い出し、

彼女という他者から聞くことによって自分のそれが客観化され、「あ、なんかわかった!」となり、

その「わかった!」が彼女とぼくをすっきりさせるのはもちろん、

その気づきから彼女が自分の近況を新たな視点で捉え直し、

彼女がその発見をその場でシェアしてくれることにより、ぼくもまた何かに気がつく。

そうした流れ。

 

そんな午後のおしゃべりによりぼくの口からその日に飛び出て、

以後の数日間たびたび反芻するほど気に入ったのが「よろこびの自給自足」というフレーズ。

どうでしょう、よくないですか。

 

よろこびの自給自足というのは、

ぼくにとってこのブログを書くことや、クレヨンとかでの落書き、風呂掃除、

好きな音楽に合わせて体を揺らすなどなど、そういうようなこと。

 

ま、音楽とかパソコンとか画材とかの力は借りていますが、

少なくともそこに他人は必要ありません。

誰の手を煩わすことなく、誰かの都合に合わせることもなく、それができる。

たったひとりで、小さい部屋の中でもできる。

 

実際はわからないけど、ステイホームが充実していた人というのは、

この”よろこびの自給自足”が身についている人なのかもと思う。

反対に苦しかった人は、それに不慣れなのかもしれない。

 

さて、友人とのおしゃべりの、自分にとっての着地点は、

自分たちを含め多くの人は「わたしは何をしたら幸せになれるの?」ということの探求をしているのかもなというもの。

言葉の表現として、「何かを”する”こと」、「幸せへの”受け身”の姿勢」みたいになっていますが、

そこがぼくの言いたいことではなく。

なんというか、とどのつまり、

たとえば旅に出るのもレストランでの美食や飲酒や観劇やショッピングなども、

その内なる動機を掘り下げると「それがわたしを幸せにしてくれるのでは?」というものなんじゃないかなということで。

 

だとしたら、それを外に求めるのは、

婉曲的というか、ある意味では、遠回りをしていることかもしれない。

 

「自分が快適(幸福)でいる」のには、自分の心(精神?)が快適であればいいのだから、

今ここで、それこそステイホームでそれはできる。

たとえば、じっとして、自分を抱きしめたりさするなどしながら、

あなたは本当にすばらしいよ、よくやっているね、偉い! 最高だよ、すてき、

などの言葉をかければよい。

あるいは、そうしたことを人から言われる想像をするだけでもよい。

 

そんなの妄想じゃん、と思う人もいるかもだけれど、

現実の現象も結局は、「わたし」が感知するという点では同じだし、

現実の現象も、絶対的な一つだけの見方は存在せず、

どこまでいっても「わたしはそう感じた。受け止めた」という、ある種の”妄想”に終わる。

だったら、それが現実か妄想かって、それほどに意味がある? と思う。

 

ってなことを考えてみるに、

やはり、やっぱり、よろこびの自給自足をマスターすることが、

生きていくうえで、とても重要なのではないかしら。

食料と同じように、精神の栄養をお金で引き換えることが今は一般的かもしれないが、

案外、そこを自給自足することが普通なことに、あっという間に変化する気もする。

 


ヴァイブレーション

 

すてきな若者たち。

チラッとインタビューを読んだら、志がすてきでした。

見た目もあるのだろうけど、菅田将暉くん(知り合いではありませんが)みたい。

なんかヴァイブレーションが、new ERA。というか、newじゃなくnowか。

時代は移り変わろうとしている、移り変わっている。

明るい気持ちになりますな。

 

 

生演奏している感じもよい。

ぼくが生きて聴いて吸収してきたいろんな時代の音楽を感じる。

 

菅田くんといえば、まだ顔があどけない頃に一度だけ撮影をご一緒させてもらったことがある。

なんだかものすごーく撮影に時間がかかり、うーん、うーむ、やっぱり髪型を変えてもらえる?

みたいに定まらず、ぼくなど内心「えー」って感じだったけど彼は、

「いいもの作りましょう」という姿勢に貫かれ、プロだなあ、と感心&卑下したことをおぼえている。

だから、こうして大スターになった行末は、なんら不思議に思わない。


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