day 28

本日でレッスンは終了。

そのことがどう関係しているのかはわからないが、とっても眠い。

明日の準備をしなくては、と思いながら、気力もわかずボーっとテレビ。

今夜はつかいものにならないみたい。

 

合言葉は「わたしは心からの愛を与え、心からの愛を受け取る。わたしの本質は愛だ」

 

初めての方にインタビューをする緊張からか、

なんだかあまりよく眠れなかった昨夜。

夢は少しもおぼえていない。

 

こう、こう、こう、と頭で描いていたシナリオとは違ったけれど、

とにかく無事に仰せつかった役目は果たせたと思う。

打ち上げ気分で帰りはプラス510円で特急列車。

うっかり寝すごすところだった。

 

あー、終わってしまった。

とにかくやりきった。

 

毎日2つの記録をつけるという通しレッスンは、

このブログと、ちいさい絵を毎夜1枚描いた。

 

どちらもそう手間はかからないが、

毎日、必ず、となるとそう楽ではなかった。

 

でも、やってよかった。ほんとによかった。

 

たったの28日間ではあるけれど、

自分との約束を果たせたそのことが、すごくうれしい。

 

 

 

 

すばらしいね、あなた!

 

 

夕飯は2日目のカレー。

 

あまりにおなかが空いていたため、

特大のごはんを2つ解凍するも途中で満腹に。

とても珍しく残してしまった。

 

カレ不在のレアな夜。

とくに何するわけでもなく、今に至る。

 

最終日にひとりというのも、なんだか面白い。

誰もいないし(猫はいるけど)、レッスンの最後にあった「ダンスをたのしむ」をこれからやってみようか。

 

夕方、都心の乗り換え駅で、最近話題にのぼった友人とバッタリ。

互いにそう驚かず、すぐに話し始め、すぐに別の場所へ向かい別れた。

 

明日はなにがおこるだろう。

未知をたのしみに目覚められるよう今日に満足して眠ろう。

 

おつかれさまでした!


day 27

あ、気がついたら明日がレッスンの最終日だ。

そんなテンションでこれを書いている今日がふしぎ。

 

明日から数日仕事があり、どうしても落ちつかない。

 

3年くらい前まではこちらが日常だったのにね。

人生にはいろんな時代があるものだ。

 

本日の合言葉は「わたしの未来は愛と喜びと平和に満ちている」

 

まさに理想の未来。

その理想を現実にできるのは自分しかいない。

 

教えは、未来のありたい自分で1日過ごせ、というもの。

肉体からふるまいから感情から、演技のようにして理想の私でいることを心がけよ。

 

でも、ほんとうにそうなのだろう。

ある日、望み、決め、それを継続することだけが夢を叶える道かもしれない。

 

レッスンには、15分目をつむり望む未来を想像せよ、というものもある。

これはお風呂でやってみよう。

 

それにしても、20代からやってきていることなのに、

ほとんど毎回、インタビューの前日は憂鬱になってしまう。逃げたくなる。

向いていないなあ、と思う。

じっさい、それで「やめます」宣言を2度もしたが、またやっている。

 

 

夕飯はカレー。

おすそわけでもらった大根をつかったサラダ。

 

明日、仕事で外泊する彼は、お母さんみたいにカレーをたくさんつくってくれた。

ご飯も多めにたいて、冷凍してくれた。

 

 

 


day 26

本日は二日酔い気味。

なかなか布団から出られなかった。

 

毛布の肌ざわりってなんと魅惑的なのだろう。あの幸福感。

これぞ冬のよろこび。

 

合言葉は「どんな場所でもわたしにとっては家だ」

 

教えてとしては「自分の肉体も家だ」と唱えよ、とある。

 

思い出してはつぶやくように言ってみた。

口にすると、それが真実のように思えてくる。

 

それにしても、

たった3杯のビールでこんなにも体が重たいなんて、どうしたことだろう。

目下が肉体浄化ウィークであることも関係しているのだろうか。

 

 

今週は取材の仕事がひかえている。

くわえてレッスン終了の翌日、2年ぶりに外国へ行く予定もあり、落ちつかない。

それにしてもの宇宙のタイミング!

 

明日、明後日でレッスンが終わってしまうことがさみしい。

「あなたの変容のために今日はこれをしなさい」

愛の声に導かれているこの安心感たるや。

 

 

夕飯はハンバーグ風のおかず、お吸い物、キムチ、ゆでたブロッコリー。

 

これはなに、と尋ねると「ハンバーグ? 」と疑問系の答え。

初めての味がした。

 

 

 


day 25

レッスンは25日目。

土の週はイメージせよ的課題がつづき、ちょっとダレがち。

 

本日の合言葉は「わたしは命がもつ自然のリズムと調和している」

 

自然のリズムに目をむけなさい、

自然にふれなさい、

自然にふれているところをイメージしなさい、

自分が地球であることを想像しなさい。

 

刺激的なきのうの余波か、早くに目が覚めたが体が重い。

 

午後、布団に入って課題にトライ。

 

大木である自分を想像すると、エネルギーが大地から上下に循環している感覚。

石になってみると円を描くようなエネルギーの循環を感じた。

 

いつの間にやら眠っていて、目を覚ますと日が暮れていた。

 

 

 

 

夕。学生時代の7年近くお世話になったアルバイト先の喫茶店で待ち合わせ。

なんの会合か全貌をつかめぬ打ち合わせのような場。

 

よもやま話がつづき、はて、今夜はなんの会だろう。

尋ねれば即わかるのだろうが、会話などから推測してみることにした。

 

二次会はファミレスと居酒屋が融合したような独特なお店へ。

レッスンを開始してから初めての飲酒。

ビール、ビール、ビール。

 

お酒の影響もあり、

ぼくに向けられていない話の半分くらいを聞いていなかったかもしれない。

ぼんやりナイト。

 

解散し、電車を待っているとニット帽が見当たらないことに気がつく。

寒空を10分歩いて店に戻るのは高いハードルだったが、

あの帽子を気に入っていたのだと失って気づき、きびすを返した。

 

 

夕飯は、パスタやピザや唐揚げやサラダなど。

いろいろ食べたはずだけど物足りなく、最寄駅でおにぎりひとつ調達。

 

それにしてもふしぎな夜だった。

ただ飲み食い喋るだけだったが、

感情がさまざまわきあがり、自分観察に忙しかった。

 

そういえば、今宵は新月。


day 24

 

とにかく眠いのは、

たくさん移動したからか、

よく歩いたからか、

ちょくちょく焦ったからか、

いろんな人と会ったからか。

 

レッスンは、

掃除や、ノートに書いて己と向き合う的ことではなく、いってみれば、あり方。

もはやお馴染みのシンクロニシティにより、午後から深夜まで外にいたが取り組めた。

 

合言葉は「わたしの体は丈夫で健康だ」

 

ここ数日、体との対話を心がけている。

たんなる思い込みかもしれないが、

体というものは話しかければ応えてくれるような気がしてきた。

聞けばちゃんと言葉がかえってくる。

 

そして、頭で考えるよりもその声はやさしく、寛容。

 

罪の意識をもつ必要はない。

もっと使って、活かしてほしい。

たのしいものにフォーカスして。

 

 

きょうは仕事の撮影が夜にあり、

せっかく都心にでるのだから、と、

お世話になっているギャラリーに顔をみせに、

友人のアトリエでひらかれている友人の個展に彼らへ会いに、

実物をすごく見てみたくなった冬の服をたしかめに、東京のあちこちへ。

 

想定していた時間で事がすすみ波にのってる! と浮かれたり、

想定外の事態にあわあわと冷静さを失いかけたり、

バラエティーに富んだ午後だった。

 

 

夕飯は、差し入れにと用意されていたが手をつけられなかったきれいな残り物。

明太子のおにぎり、鳥の唐揚げ、肉巻きおにぎり、生春巻きなど。

 

はじめましての人から「燃費がよくないんですね」と、おかしそうにいわれた。

痩せているのによく食べる。という意味だったよう。

シャレた表現。

 

 

本日は、30代と60代の方とその絵にたてつづけにふれ、

絵には人生が濃縮されているのかもなあ、となんだかうれしい気持ちに。

 

それぞれに美しいその世界に感化され、

ただただ自分の絵を描けばいいのでは? と、光がさした。


day 23

快晴のあたたかい朝。

散歩をしてみようと思いたつ。

 

 

 

 

外は陽気なのに黒い服を選ぶ自分がわからない。

ボサボサの髪、伸びたヒゲ、寝起きの顔。

不審者風のわたしは、とても久しぶりの川辺へ。

 

数年前は毎日のように川に行き、

流れる水を何十分と見ていることもあった。

 

思えばあの頃は、自分にずいぶんムリをさせていたのだろう。

 

 

午後。カレが散髪してくれるという。

髪の毛についた邪気をカット! 

勝手に意図設定。

 

今日のレッスンはなんだったっけ?

とにかく、体に意識をむけよ的なことだったはず。

 

散髪中の約1時間、

目をとじ、聞こえる音に集中のチャレンジ。

昼食を消化しているような音がぼくからカレからした。

 

毎回思うが、見た目の力ってすごい。

散髪は生まれ変わりの儀式なり。

 

 

今夜は外で食べたい、と日暮れ前にカレ。

だったらもう出発しよう。

 

早めの夕飯って、なんか得した気持ちになる。

 

回る寿司でお腹いっぱいもう眠い。


day 22

今日からの最終週は土の週。

土は地球、体の象徴らしい。

 

合言葉もそのまま、「わたしは大地とともにある、体とともにある」

 

体への意識度をはかるような質問に答えた。

 

うすうす感じてはいたけれど、

あらためて自分はまるで体を重視していないと知る。

 

朝から体の冷えを感じ、うっすら喉にも痛み。

これぞシンクロニシティ!

うれしいような。いや、うれしくはない。

 

考えてみるとこの21日間は毎日やることがある日々。

自分の裁量でムリせずやれることながら、

どこかに使命感もあり、けっこう真面目にむきあっている。

その疲れがでたのかもしれない。

 

午後、なにもしないをした。

 

 

 

 

夕方。彼に代わってスーパーへの買いだしを申し出る。

子どものおつかい気分で買うものリストを書いてもらう。

 

ごぼう、鳥のもも肉2パック、納豆。

 

なにを作ろうとしているのか想像もつかない。

 

キウイ8個入り1パック398円。みかん1袋498円。

どちらにしようか迷ったが、両方買ってもいいと気がつきそうした。

 

 

小さい川の横道をぶらぶら歩きながら、

ぼくは平凡が好きなのかもしれないなあ、と不思議な幸福感。

体があるから歩ける、見れる、嗅げる、味わえる。

 

悲しみもさみしさも、切なさもむなしさも、

案外ぼくは愛しているのかもしれない。

そんなことも思った。


day 21

本日で火の週はおわり。

今日はまだおわっていないけど、いやはやいろいろあった。

本に予告されていたように、怒り苛立ち浮上の1週間。

 

でも、それでよかった。

怒りも必要だから存在しているのだ。

 

怒る自分もいてよし。

 

 

 

 

合言葉は「わたしの中には信じられないほどの創造性に満ちた生命力が流れている」

 

何度も口にだしていたらおぼえてしまった。

 

レッスンは、

自分の感情を絵に描くこと。

魂からのメッセージを受けとり描くこと。

 

言葉はすぐにうかんだ。

 

「魂は修行を求めていない。魂は夢中を求めている」

 

他人事のように、なるほどねー、と感心した。

修行も夢中も同じ命のつかい道。

 

大変だけど、苦しいけど、辛いけど、がんばる。

そういう修行ロードはもういいのかも。

 

 

きのうの原稿の疲れだろうか、

メールひとつ書くのにもいつもの何倍も時間がかかるうえ、納得いかない。

ニュー男子も書きかけてやめた。

 

 

昨夜、意図を設定して料理をする、というアイディアをおもいつき彼に話すもほぼ反応なし。

それでも食い下がり「明日は松果体を活性化させる料理をつくって」とリクエスト。

 

夕飯はクレソン、白菜、たまねぎ、ベーコンなどが入ったパスタ。

意図設定をしたのかは聞かずに食べた。


day 20

スピリチュアル・レッスンはあと9日間。

この日記もあと9日。

 

今日は1日原稿をやっていた。

自分のことを好き勝手書くようには書けないものだ。

なんだろう、直感がはたらきにくいのかも。

 

うんうんうなるような気分で頭をつかっていたら、

そりゃそうか、という頭痛。

 

人の言葉や人の世界とつながっていたかのような本日。

レッスンのことはほとんど思い出さなかった。

 

夜。録画してあった海外ドラマで気分一新。

毎度ながらぼくのどこかにふれて泣きそうになる。

 

ドラマの誰かがいった「つかう」というフレーズ、感覚が印象に残った。

 

星をつかう。

直感をつかう。

才能をつかう。

 

なんでも器用にこなす完璧な人間は悩むことなどないのだろうか。

 

自分の万能じゃなさをあらためて思うとき、

与えられたなにかをつかうことを真剣に考えはじめた。

 

 

 

 

合言葉は「わたしは愛することを知ってるスピリチュアルな存在だ」

 

今日の終わりまであと数十分。

お風呂につかりながら誰かに愛をとばしてみようかしら。

 

 

夕飯はハンバーグとマッシュポテト。

きのうの不思議レストランで食べたとりあわせ。

 

ひさしぶりにハンバーグを食べたら自分でもつくりたくなったのだろう。

彼らしい献立。


day 19

本日のテーマは「死と向きあう」。

どうしてか、昔から死というものに興味がむく。

 

レッスンは毎日3段階あり、

自分の都合で1つだけでもすべてやってもいいのだが、

今日はどうしてもレベル3の課題にトライしたかった。

 

子どもの”ごっこ”の要領で死の時を演じ、その後の世界も想像せよ。

 

不謹慎にも思えたが、それこそが死というものへの偏見なのかもしれない。

発作的な死、事故死、自死をイメージして行った。

 

いったいどういう仕組みなのか、

勝手に想像が展開し、どの死のパターンも同じように、

肉体からすーっと透明なわたしが抜け、そのまま天にのぼっていった。

 

その後の世界は3つとも異なり、

ひとつは天使のような存在に囲まれ、

ひとつは滝のような荘厳な場所に誘われ、

自死後は、天にのぼるまですこし時間がかかり、

その後の世界では目に見えない巨大ななにかと対峙し、

どこかに吸い込まれ自分がなくなる感覚ののち、

ほかの2つと同様、空間の一部となるような一体感があった。

 

ただの想像の世界なのだけど、

ほんとうに死とその後の世界は、そうしたものかもしれない。

だとしたら、死とは恐るべきものではないのかもしれない。

 

目をあけると、人生がお遊びみたいなものに思え、

なーんだ、と、ばかりに気楽になって、ひとりでクククと笑った。

 

 

 

 

今日はジェットコースターに乗っているみたいに、いろんなことがおこった。

 

彼とケンカした。

いや、実はケンカはずっと前に始まっていたのかもしれない。

 

平穏なふたりの日々に満足していると思い込んでいたが、

ぼくの本心は、さみしさやむなしさや怒りなどがふつふつしていたのだった。

だけど、その蓋をあけることが恐怖で、見えないふりをしていた。

 

昼食時、プチっとどこかが弾け、気がついたら抑えてきた言葉が口からあふれでていた。

 

人間というのはおもしろい。

さっきまでふつうにパンを食べていたのに、もうパンどころではない。

 

彼はどのような気持ちでぼくの心の声をきいたのだろうか。

 

そういえばかつては、今日のような場面は何度もあった。

彼との付き合いに耐えられなくなり、切々と自分を言葉で伝えた。

 

ほとんどしゃべらず、けれど気まずくもない1時間半の車中を経て、駒沢。

友人の作品発表の場へ。

 

この数ヶ月、燃え尽きたかのように創作を無意味にさえ思えていたが、

ういういしくみずみずしい二人の展示をみていたら、

ぼくだってやりたい!

内なる子どもがひさしぶりに顔をだした。

 

 

夕飯は、4人でウロウロし、ぜんぜん決められない。

寒いし、お腹も空いているけれど、優柔不断がたのしい。

けっきょく誰もピンときていないが空いていた店に入りハンバーグ。

 

シェフ兼給仕をひとりで務める30代半ばと思しき主人の雰囲気と店に点在するファンシーな雑貨、

ほっこり饒舌なポップと口下手調の本人。

ぜんぶがぜんぶちぐはぐ奇妙に思えたが、居心地良好。

ハンバーグはおいしかった。


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