備忘録

あたらしいものを取り込みすぎると不安になるのかもしれない。

あたらしいそれは、あたらしい自分をつくってくれて、

前よりも優れた自分になったような気分になり

もっともっと、と求める流れができあがり

その流れに身を任せているうちに

100%の善がおそらく存在しないがごとく、

あたらしい自分の中に抵抗勢力のように

自己否定の存在感がじわじわと増していき、

気がついたときにはどんよりと重たい自分になっているということがある。

 

ここのところ、

そうしたあらたな情報、知識、視野の獲得に夢中になっていて

気がついたらちょっとびっくりするくらいに自分のことが嫌になって、

先々のことが怖くなって、不安になって、

身動きがとれないような状態になっていた。

 

それもやがて過ぎる。と頭ではわかっていても

体調不良がどうしても気分に影響をあたえるように

わかっていても苦しい。

 

そんなこのごろに、

あたらしくて、これからも自分の世界の一部になりそうな何かと出会った。

 

インド映画「きっと、うまくいく」が、すごくハッピーで面白かったです。

くわしくないからイメージだけど、どこか漫画みたいなお話で、

ゆるく鑑賞できるのだけど、そこにしかと筋金入りのメッセージが力強く何度も込められていて

映画のことを思い出すと、

あなたはひとりじゃないよ、と、笑顔でつよくハグされたような

なんだか泣きそうなあたたかさがわいてくる。

 

その映画にて、「インド」というキーワードが光りだし、

お誘いいただいていたシタールとタブラの演奏会へ参加した。

 

定員30名の部屋というようなちいさな会場で

マイクを使わぬ演奏だし振動が直に伝わる前の席がいいですよ、と教えてもらい至近距離での鑑賞。

インドのそうした音楽はおそらく初めて直に聞いたのですが、

1曲が1時間半というそれは、

音楽を聴くというよりは、音に誘導され自らの小宇宙へトリップするような時空。

ほんとうに不思議で、ほんとうに心地よく、

座布団に正座やあぐらと姿勢を変えながらの時間であったことなどまるでかまわず

いくらでも聴いていられそうなほどにすばらしかった。

ああ、終わってしまった。と思った。

 

おそらく聴衆のそれぞれがそれぞれの味わい方をしたのでしょうが、

ぼくにおきたこととしては、

まるで違う2つの楽器、奏者のうみだす音を2つの耳で聴くうちに

幼き自分の見ていた世界や、感じた感覚、

今はなき実家の柱の色、ソファーの感触、カーテンが風にゆれるさま、

学生時代の行き場のない苦しさ、母との幸福一色の時間、ゆりかご、はだしでふれたキッチンの床、

水泡がぷかっと浮上するように、

思い出すことのなかったさまざまな景色がふとわきあがり、

今日まで自分が生きてきたことは奇跡なのだなあ、と涙がでそうになった。

 

欲張って、生まれるまえのことを思い出そうと意識を退行させてみたが

リアリティーがあるのかたんなる自分の思い込みなのかわからないような宇宙がみえただけだった。

 

わからないけれど。

わかったこととして。

 

ほんとによくいわれることだけれど、

頭を空っぽにする、無になるということが、もしかすると覚醒なのかもしれないな、と思った。

 

とくべつな能力を手にすることではなくて、

ポカーンとただここにある。

なんにもないそれは、なにもないからある意味すごく退屈で、

退屈だからここにないことを考え出したり、いつかのことを思い返したりして

なにかしよう、なにかを動かそうとしていて。

 

でも、だから、無。みたいなものは、いつでも絶対的に瞬間的に手に入れることができる、

誰でも今のこの瞬間に、悟りなのか覚醒なのかできる、そういうものかもしれない。

 

いや、悟りなのか無なのか覚醒なのかはまったく別の話なのかもしれないけれど、

とにかく、その空っぽ状態は、なにもなさすぎて、面白みも無く、

「そういうことじゃなくて!」と、みんな、ほっぽり投げているのかもしれない。

すくなくともぼくは、ずーっと、「そうじゃなくて」とそれに見向きもせず、

もっと超越的な何かを探し求めていたのだなあ、と思った。

 

しかし、あんまりにも頭がグルグルしまくって、後味の悪い夢ばかりみて、

起きたくないからと二度寝するほど生きることに後ろ向き、いきづまりだったため、

「空っぽ」になれたことが心底ありがたくてありがたくて、たまらなくありがたかった。

 

 


かっこいい

 

きのうチラシでしった方たち。

チラシがあまりにもかっこよかったのでyoutubeしてみましたら、

なんともかっこいい。

かっこいい。


矢野顕子さん

 

おととい知ったライブの映像。

矢野顕子さん。


ただ書いたもの

最近気になっていることを書くことで整理しようと思う。

大は小を兼ねるとはいうけれど、

国のためとかはおかしいなと思うのは、

国が幸せになることと個人が幸せになることは、

たぶんイコールじゃないでしょう。

だって、国って実態がないようなものだし、

実態があるということにしたとするとそれは個人の集合なわけでしょう?

すると全体を、まず大きなものを満たすには、

つぶつぶのわたしたちが満たされないことにははじまらないし。

 

人はそれぞれ違うのだから、

全体として「これでOK」なんてものはないのではないか。

また、もしそういうものがあるのだとしたら、

あらゆるニーズを満たすものとはいったいなんだろうか。

 

そうなると、

みんなの幸せのために髪振り乱して生きるまえに、

まずはぼくが今を満たすこと、

その今というのは、過去も未来もない今だけど、

過去未来というイマジネーションを含む今を満たすとなると、

先々を不安と仮定したがる自分の想像力、想像をうながす心や頭の働きを律することが重要なのかもしれない。

過去もおなじく。

 

感覚というのは、あいまいで、よくわからいことをごまかすための逃げ口上ではないのだな。

たしかに感覚というものはあって、なんとなく好きとかなんとなく気持ちが悪いとか、

なんとなく、なんかそう思う、感じるなど、

論理的に言えない、整合性のとれていないなにかというものは、

やっぱりちゃんとあって。

 

感覚を軽視させたがる社会というものがあるのだとしたら、

それはなぜか。なぜ、「なんとなく」がいけないのか、という裏側を考えてみたい。

 

感覚は、おそらく、教わった過去の法則などを無視した、

あざやかな解。をもたらす回路なのかもしれない。

ぼくは、思考的でなくてはいけない、社会的でなくてはいけない、論理的でなくてはいけない、

そのようでいないとまともな人間と思われない、社会の一員になれない、とどこか強迫的に思い込み、

その自分内ルール、われの常識にながらくとらわれ、

その圧力に従い生きてきたようなところがあり、

けれど、そのルールにのっとり生きていくことが自分を幸せにしないということに

じょじょにじょじょに気がついている今なのでしょう。

 

周囲の賛同、共感、

みんなの賛同、共感が束となり、

いつかマイノリティだったルールがマジョリティになるのを待ってから動こう、というのもひとつの生き方だけれど、

ぼくは、こらえ性がないのだろうな、

違和感に気がつくと、それを見ずにはいられない。

見ているうちにその存在感が大きくなるのは、

人間のしくみみたいなものかもしれません。

 

うん、なんか、こう書いていても、

ちっともあたらしい考えに行き着かない今日だなー。

そういう時なのでしょう、まだもんもんする時。

 

ひとまず、なにかを書きたくて書いてみましたが、

この午後はなにをしよう?

なにをしたいのだろう自分は。

 

昼寝? 

おもしろい動画をみる。

借りてきたDVDをみるのはちょっと違うかな。

買った小説をひらく?

手をつけていない本?

友だちがすすめてくれた動画をみる?

掃除?

なにか捨てる? 衣類とか書類とかそういうものと向き合う?

散歩?

猫をなでる?

 

絵をかく?

ニュー男子かく?

とった写真をパソコンにとりこむ?

誰かに連絡とってみる?

おかしやく?

ゴロゴロ?

TRE?

めい想?

 

トイレいく?

昼風呂?

 

ふしぎなほどなににもときめかない。

今はまだこれを書きたいということかもしれない、キーボードをカタカタいわせたい。

 

録画してある番組みる?

小沢健二のやつとか。

情熱大陸とか。

星野源のとか。

 

youtubeみる? 矢野顕子のライブとか、ピアノのなにかとか。

タバコすう?

酒のんでみる?

わからないわからないわからない。

 

自由ってなんなのでしょうか。

ほんとの自由ってなんなのでしょうか。

ほんとのとほんとじゃないのと自由にもいろいろあるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 


ある日

 

すごく盛り上がるとずんと沈む

沈むくらいだったら盛り上がりなどなくていい、そんな人生も

浮き沈みを乗りこなして生のプロフェッショナルサーファーを目指す、そんな人生も

 

今日はいつになく静かな午後だ

胸のうちはドキドキもワクワクもビクビクもあるけど

木々はあたりまえに風にゆれ 猫らは音もなく寝ている


日々

 

とっても久しぶりにボサノバをきいている今です。

ささやくような歌声と独特のテンポが耳に心地よい。

音楽ってなんと不思議なものなのか。

今日はボサノバの私。

 

昨年の秋くらいからコラムを書くということを開始し、

できると思っていたけどけっこう悶々とすることがつづき

とはいえそれが人から、世界からもとめられた目下のやることだという自覚をしたため

放棄することは真面目なぼくにはむつかしくとりくんでいたところ、

さっぱり絵を描くということに気持ちがむかわず

自分のことながら勝手に焦るような感覚もどこかにあり

とはいえ無理強いすることから生まれる絵になにがあるのだろうかという思いが強く、

なるようになるか、と流れ流され春になってしまいましたが。

ここへきて突如、意欲がわきで、あわてるように絵にとりくんでみたところ、

それが良いかはまったくわからないけれど

自分としては、納得というのか、必然のような絵が描かれだしたように感じているこの数日間に

精神の充実をおぼえている、だからなんだ? という報告をしたくなったので、

ほとんど独り言であろうこんな文章をしたためる午後5時半。

 

今夜は気楽な空間でだらだらとお肉を食べたいなー、と思っているけど、

いい年をして子どものように受け身に、母の食卓に無条件にありつくあの頃のように

ただただ彼がつくる夕飯をYESと待つわたしであります。

 

みなさんの夜もごきげんよう。


アザーカット

 

ニュー男子にて、ブルゾンちえみのことを書いてまして。

おそらく平成生まれの人間は彼女を「ブルボンちえみ」などと言ってしまうことはないのでしょうが、

何度も何度もブルボンと言ってしまう昭和な自分が好き。

 

年をとって、あの頃のように眠らずに遊ぶ! とか、飲んでから仕事! とかは全然ムリになってしまったけれど、

ああ、いい風〜。とか、今年もこの季節がきたねえ。とか、

若者だったときにはスルーしていた機微をよろこべる中年っていいなあ、と思う。

 

ってなんの話だっけ? そう、ブルゾンちえみのコラムだ。

彼女のネタに笑い声をあげたのは最初の1、2回で、

その後は完全に”知ってる”って姿勢で見ているけれど、だけども見飽きないそれは、

そのネタ世界が心地よいからだろうな、ってなことなどをぶつぶつ書いています。

よかったら、読んでみてくださいー。


おすそわけ

 

バラを一輪もらったのであります。

 

バラがあったところでなんだと思う頭のはたらきとは、

たとえば数値化ができるような何かを得ることをプラスと考える価値観にもとづいているのだろうか。

 

バラをこれだと思うプラスティック製のコップに挿し、

ここと思う場所に置き光をまとったそのさまをみると、

そこが、瞬間が、なんともいえぬ豊潤さに包まれていることを感じた。

 

贅沢は敵。などというフレーズが、

よくわからない圧で日々の行動にブレーキをかけてくることがままありますが

なにが贅沢かということはひとまず、

自分に与えずして何を人や世界に与えられるのだろうという話。


ニュー男子 近影

 

流行をそんなに意識せず暮らしているつもりですが、もちろん私も時代の子

好きな格好って日々変化していくものですねー

自分の中で「今日イケてる!」と思ったので同行のMに撮影してもらいました

 

自己愛強化イヤー


ごきげんいかがですか

 

こんにちは。

今朝は、とくにとくべつなことのない朝で、

外の晴れが心地よく、さっきまで寝ていたというのにまた寝てしまいたい、そんな今です。

 

おしらせというか、いや、おしらせですが、

3月から「美容男子」というwebサイトにて

ニュー男子」というコラムの連載をやらせてもらっていまして。

 

そもそも話をもらったのは去年の秋。

友だちからのとてもかるい依頼だったので、

うん、わかった。できそう。できる! ありがとう。

ってな具合にライトに引き受けたものの、

コラム。という意識で文章を書いたことがこれまでなかったようで、

いったいどうしたものか。というくらいに、なんか違う。これも違う。という秋を経て、

ようやく回路がひらいた! って思う時期があったり、

どうしていい感じなんて思えたのだろうとゆり戻されたり、ザ・砂の城。

 

でも、はじまってしまいましたので、

はじまった以上、その試行錯誤もふくめてオープンにしていくことが

今の自分というものが外側にあらわす何かなのかなと悟り、あきらめ、

恥ずかしながら、フェイスブックやインスタグラムなどにもおしらせをし、

そうして、最後に、誰がみてくれているのだろうここに投稿してみています。

 

そんな新しい試みに直面し、

ここは、ブログは、ほんとに自分のための場所なんだなー、と思うこのごろです。

ものすごくパーソナルなのに外の世界にもひらかれた不思議なスペース。

いやはやありがたいです。

 

どなたがどのような気分でこれを読んでいるのか想像もつきませんが、

読んでいただき、ありがとうございました!


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