8月展示

 

さて、真夏に展示をしています。

 

おととしに知り合いまして、声をかけていただきまして、今年で3年目。

うちから車で10分強のところにあります、ラーメン屋さんでありギャラリーでもある味楽苑さん。

 

今回は、5年ぶりくらいに全部額装したものを飾っています。9点。

キャンバスは塗り重ねまくる節があるのだけど、紙の絵はそう重ねず、ある意味シンプルかもしれません。

 

よかったら見にいらしてください。

ぼくはいませんが、近所に住んでいるので、

声をかけていただけましたら!

 

それにしても八王子、超暑い。

 

 

味楽苑 / ギャラリーアート並木

東京都八王子市並木町39-28 電話042-664-0528 水曜、木曜定休 


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尾道。大林映画で憧れていたその土地に、あのすごい坂道に訪れることができたのはどうやら2014年のことのようだ。

 

新幹線にえんえん揺られながら、「何時間も電車を乗り継ぎここは静かな町・尾道」と歌う小沢健二を何度もリピートして、

この人生に感謝をしていたのは、けれど夏だったのか秋だったのかよく憶えていない。

でも、仕事のおわった田中さんと落ち合って飲んだビールがすごくおいしかったから、

たぶん暑い夏だったのだろう。

 

これまで何枚もデジカメやらケータイやらフィルムで彼の写真を撮ってきたけど、

寝起きです、みたいなミッチーのこの写真がいちばん好きかもしれない。かわいい。

 

ふと気づく。

いっしょに暮らすってそういうことなんだなあ、って。

寝起きで、写真とかいいから、みたいな顔とか、

ちょこっと具がある即席ラーメンみたいなおそらくは夜食とか、

ぼくたちが、デートだけしている間柄の時代には見ることはできなかったかもしれない。

 

見慣れた川、見慣れたアンくん、見慣れたミッチー、

産気づく前日だったかの綾子さん、気だるげで色っぽいくうこ、

うなされそうなエネルギーの原爆ドーム、

即座に大好きになり、大好きのまま後にした尾道、枯れてしまった赤い花。

 

写真になったすべては、けがされることのない四角い枠のなかで輝いている。

これまでぼくの世界に登場したみなさん、どうもありがとう。


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全体的にめでたいフィルム。

 

兄の結婚式は軽井沢で、前泊したホテルでの夜は、一生の中でもほんとうに忘れがたい夜だった。

弟と同部屋で、ふたりで過ごすことに不安のようなものがあったが、

結果的に、かなり酔っ払い、その勢いのままカミングアウトをした。

 

人生で何度も何度もカミングアウトをしてきている人生になった。

それまでの、ゲイであることを言わない年月が長い関係ほど、緊張する。

けど、よし、と瞬間的覚悟を決めてそれを告げると、その勇気の分だけ癒しがおこる気がする。

 

弟とは、カミングアウトしたからといって特にそれまでより親しくなったということはない。

だけど、このときのカミングアウトがあったから、

今は家族での集いにミッチーといっしょに行くことができる。

 

ふしぎだ。

この間の個展で絵をたくさん買ってもらえたことで余裕がうまれ、

出したい出したいと思っていて何年も先延ばしにしていたフィルムを現像に出し、

届いた翌日である明日、兄夫婦とぼくらペアで実家にて両親と飲み会をする。

 

彼らはぼくが写真を撮っていたことなんておぼえていないだろう。ぼくだって忘れていた。

届いた写真を見たら、彼らの、ぼくの、ぼくたち一家のメモリアルな日が写っていた。

 

あやこさんのりったんも、メイちゃんのふーちゃんも、もう赤ちゃんではなく女の子になった。

仲が良いとかいう言葉ではおさまらないほどの密着猫たちも、その一匹は死んでしまった。

 

明るい写真はちょっとさびしい。

けれどそのさびしさは悪くない。

 

なんか、生きているなあ、生きてきたなあって冷えた白ワインでも飲みたい気分。

 

また、写真を撮ろうって思う。


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ある年の10月の記録のようだ。

10月生まれのふたりのケーキをわが家で食べている。

 

でも、テーブルが違う。

それまでの低い、たしかまふみくんがいつかどこかの粗大ごみの日に拾い、いつか伊作さんが譲り受け、

伊作さんのいつかの引越しの際にぼくがもらった木のテーブルから、

えばちゃんからもらったテーブルの足を、

古道具屋で買ってきた板にミッチーが工作してつくった今もつかうテーブルへと移行したときのようだ。

 

あいまいな記憶。ありがたい記録。

 

参宮橋時代のぼくのオアシス、明治神宮ではどうしてこんなにシャッターを切ったのか。

それは、気分が良いからだろう。

明治神宮に参拝するのも好きだけど、それよりも、そこに至るまでの道が本当に好きで、

好きというか、依存的な感じで、

ざわざわして早くに目覚めてしまうことの多かった30歳くらいの時代には、

よく早朝にひとりで起き抜けの格好のまま吸い寄せられるように散歩をした。

 

散歩は大好きだったけど、朝のさわやかな人たちとすれ違うことが億劫だった。

おはようございます、と挨拶をしたほうがいいのか、しなきゃ失礼なのか、でも面倒くさい、そんな気分じゃない、

ひとりになりたい、ひとりでいたい、誰とも笑顔や言葉などをかわさずにいたい、そう思っていた。

今思えばかなり病んでいたのだろうと思う。

 

だから、今でも明治神宮にはずっと感謝をしている。

あの頃のぼくをギリギリ救ってくれていたプレイス。

足を向けて寝れない、みたいな感じの気持ち。

 

しかし、鳥が飛んでいる写真きれいだな。

ああいう写真を写真家さんの写真なんかで見ると、どうやって撮るんだろう、とかよく思うけど、自分も撮っていた。

ただ、飛んでいる彼らに気づき、シャッターを押せばいいだけだった。

 

なんか、このフィルムは、ちょっとさみしい感じがする。

人工的な光や、写真の複写などをして、ちょっとプラスティカル。そしてちょっと都会の匂い。


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いつなんだろう、何年前なんだろう。

友だちの結婚の祝いのごはんをしている。たしか学芸大学前だったっけ。

ちょっと早くついたからウロウロして、おしゃれな古着屋に入り、8000円くらいの薄手の黒いジャケット買った。

 

8000円くらいのそのジャケットを買うかどうかうんと迷ったのをおぼえている。

うっすら額に汗などかくくらいにどうしようかな、どうしようかな、ってたしか買った。

そのような贅沢品を買うことを躊躇するくらいの懐具合だったのだろう。

なんか、この5年くらいは、ずっとそういう状態をしている。

いい加減、慣れてもよさそうだけど、まだ慣れず、お金を使うときにドキドキしていることがある。

 

いつの富士山だろう。

どこへ行くときに見たのだろう。きっと帰りじゃない気がする。

なんで野村證券の看板とか撮っているんだろう。きっと気分が良かったんだろうな。

たぶんミッチーと駅前で買い物とかして、

夕飯はわからないけど東急のカルディーでココナッツミルクとかをミッチーが買って、

今夜はグリーンカレーだ! みたいになってて、ぼくはうれしかったんだろう。

 

桜ってことは春なんだ。

のぞみさんのポーズかわいい。

ゆうちゃんは、クール。

お互いを撮りあったりしてたのしそう。駒場東大前なのかしら、この写真の場所は。

 

今はヤクルトは寝る前に飲んでいるしヨーグルトはほとんど食べないし、

なんでだろう毎日新聞なんてとっているし、

佐々木さんからもらったトースターは壊れてしまったし、

ぜんぶ違う。

 

石井ちゃんのマグカップはかけて漏れるようになってしまったし、

今はパンは、もらったパン焼き器でつくっているから超熟もごぶさた。

 

クリクリとわだちゃんと青柳さんのとこへ行ったのなんかまったくおぼえていないし、

えばちゃんの笑顔とピースのこの日に何を話したのかは忘れた。

キンキンと益子で修行中のカレは元気だろうか。

 

花嫁を囲む会は新郎がギターを弾いて、スティーヴィーワンダーの歌をみんなで合唱したような気がする。

 

忘れたころにやってきたフィルム写真は、過去からの贈り物みたいだ。

 

案外あなた、ずっと楽しく生きてきたんだよ。

これからもなんだかんだ悩みつつも楽しくやっていくことができる。

ただの小さい四角形に、はずむように背中を押され、

ぼくは、今これを書いている。


answer その3

Q.

天狗と狼のどちらかに興味はありますか? どちらが好き?

好きな点について語ってください。

2つとも興味なかったら天狗と狼から連想するものについて語ってください。

 

 

A.

ユニークな質問。ユニークって思うのは自分にない発想だからだろうか。

さて、ぼくはどちらにもあまり興味はありません。

というか、ぼくは、本当にいろんなことに興味がなくて、

それはコンプレックスだったりするほどに興味がなくて、

自分って、自分のことにしか興味がないのではないだろうか、

それって人としてどうなのだろう、もしかして最低なんじゃないか、

とか思うことがときどきある。

 

でも、それが自分なのだから、

せめて自分はそのようなミーミーな生き物を受け入れてあげよう、

そのように思うこともよくあります。

そんな葛藤のようなものが長らくあります。

 

天狗ときいて思い浮かぶのは、高尾山の山頂付近の風景とそこで毎度感じるすがすがしさ。

高い場所からわが街を眺めるとき、「自分」というものが透明になっていき、

ふと景色と一体化して開放的になっている自分に気づいたりする。

そして、この感じをずっと忘れないでいたいな、と思うも、

下山する頃にはまたいつもの自分に戻っている。

それは残念なのだけど、この面倒でもあり窮屈でもある「個」であることが、

この世界においての真髄のようなものなのかもしれない。

ときどき、どこかや何かとの融合で、自分がひろがって消え、またミーミーワールドに戻ってくる。

その運動を、もっとエンジョイしたいなー、と思う。

 

絵を描き展示、販売することも、ちょっとそれに似ているのかもしれない。

絵は個人から出発するんだけど、やっているうちによくわからなくなるというか、

自分の中の、たとえば「ここにこの色」とか「まだ完成じゃない」みたいな声、感覚は、

どこからくるのだろう、誰のものなのだろう、となり、

希望的にとらえると、そうしたプロセス?状態?は、個から解放されているのかも、と思ったりする。

 

さらに展示をし人目にさらし、

それを「欲しい」という人と出会い、”持ち主”のもとへ手渡すこともまた、

自分だけのミーミーが、外へと広がることであり、

ぼくは、自分のしていることをもっと深く知りたいと今日も思う。

 

狼は、

ある友人の、狼をうつした1枚の写真に衝撃を受け、ライターの仕事をやめ、外国留学を決意した、

というエピソードを思い出させる動物。

ぼくは写真学校に通っていたのにもかかわらず、

写真からそれほどに衝撃を受けたことがたぶんない。すくなくとも思い出せない。

ただ、いま、思い浮かんだ写真がある。

 

学生時代の「olive」に入っていたNICE CLAUPの広告写真。

黒い丈の長いマウンテンパーカーに、下はたしか赤のタータンチェックですこし裾が広がったくるぶし丈のパンツ。

靴はドクターマーチンみたいな編み上げブーツで、

うすい金髪ショートカットの外国モデルのその髪は、

たしか白いピンでピタっと前髪を七三分けみたいにとめていた。

その写真。

 

なんだかよくわからないけど、惹かれる。

すてきだなあ、って思っていたら、当時毎日のように遊んでいた友だちも

その写真をいたく気に入っていた模様。

 

ぼくにとってのあの写真が何だったのかは今も当時もよくわからない。

好きなんだろうとは思うけど、好きとは違う気もする。

ぼくはその写真に芸術を感じたのかな?

 

 

Aさん、思い出トリップを誘う問いかけをどうもありがとう!


answer その2

Q.今日いちばん好きだなあと思った色は何色?

 

 

A.

きょうは、何時だったっけな、とにかく早くに目が覚めて、

どうしようかなー、と一瞬迷ったけど、外の光がきれいそうで、それをみようと起きることにして、

そしたら描きたい絵がうかんできて、それで朝からアトリエに行った。

ぼくのどこかに浮かんでいたのは、サーモンピンクというのでしょうか、

桃色がうっすら灰色と融合したようなその色が、その気に入りの絵の具をぬりたくて、

ぬるための絵を描いた。

つまりはぬり絵ということですね。

 

ということで、本日はその色を好きだなあとまず思いました。

けど、その絵が終わり、そうしたことをしたい衝動のようなものは去り、

つぎはこの間いただいた黒い絵の具をつかってみようと閃き、

アイパッドに入っていたほんとうに数少ない友人の写真を見ながら、彼、彼女の絵を描いた。

そのときに、ああ、黒ってステキって思いました。

 

now。ぼくの手はすこし色が付着している。

グレー味のある黄緑色とグレー度の高いブルーと、ちょっとだけ黒。

その色の組み合わせは、ぼくのどこかに、いつか美術の教科書かなにかで見た、

ふるい時代のヨーロッパの誰かの風景画を思い出させる。

いや、違う。もっと昔に読んだのか、

読み聞かせされながら想像した行ったことのないどこかのすこしさびしげな広々とした、

ひょっとしたら数時間後には雨が降るかもしれない畑を想起させるその色の組み合わせを好き!って思っている。

 

よだんですが、かつて「ハワイのこと」というハワイでの忘れがたい時間のことを書いた

小説みたいなのを友だちに読んでもらった感想として、

「ノムの世界はカラフルやなー。色!」ってなことを言われて、

そのときにもしかしたら初めて「色」というものが好きなのかもしれないと思ったことを今思い出しました。

 

ちなみに固定的に好きな色をただひとつだけ選べ、と言われたら、

蛍光イエローです。

蛍光イエローってだけでなんでも欲しくなってしまう。

いま、パって、蛍光イエローのお箸とかないかなあ、欲しいなあ、と思いました。

 

 

Hちゃん、すてきな投げかけをどうもありがとう!


自分のままでいい

 

さっき、鏡をみて、鏡にうつる自分と認識する動く像にむけて、

あなたはキュートだね、あなたはセクシーで、かっこいいね、すばらしいな、

と、ここ数週間だか数ヶ月だかやっている目覚めの儀式である、I love me work をやっていたら、

ふいに、あれ? となった。

 

そして、

 

その顔のおおきいところがいいね、顔の細長いところが、

筋肉のあんまりない細い、ガリガリのところもいいし、

ヒゲの濃い感じもいいし、ひょろっとしたところもいい。

 

と、ことばをつづけていて、そのあれ? は確信になった。

 

え、だって、これが自分なんだから、この自分でいいじゃないか。

みんなと違っているのだとしたら、そこがいいじゃないか。

みんながひとつのイメージにむかっているのだとしたら、

たとえばジムで鍛えてマッチョとか、モデルさんみたいになりたくてダイエットとか、

そういうどこかへむかうその衝動は、本能的なものではなく、

ひょっとすると一種の洗脳みたいなものなんじゃないか。

 

自分のこれ、このかおからだは自分だけのもの。

それに良し悪しなんて実のところはない。スタイルのいい赤ちゃんとかそういう発想はないでしょう。

 

ってなことが、ビビビとダウンロードされ、即座にいまこれを書いている。おはようございます。

 

自分のままでいいの「いい」は「良い」とはちがう。

良いとか悪いとかのことではない。

そのままでけっこうです。ってこと。

 

すくなくとも今日は、終日「このガリガリがイケてるなー」って思ってすごしてみよう。


answer その1

21日の個展内のイベントの中で「アーティストトーク」ってな企画があり、

なにかぼくがおしゃべりする時間とそれを捉え、

満月デーに来てくれた人の何人かに、

当日話す内容のテーマか質問を考えて欲しい、と頼みました。

 

けっきょくは、トークはなくなりライブペインティングとなったため、

いただいた質問にはここで答えさせてもらおうと思います。

 

この度は、質問を考えていただき誠にありがとうございました!

 

 

Q. 

悶々としてる時、何する?(絵を描く以外)

 

A.

悶々としているときはまず、自分が何に悶々しているのかに向き合うかもしれない。

何にひっかかっているのかわかれば、それに対処しやすい、と思うし。

悶々に向き合うためにすることは、まず喋ること。

だいたいは即座にカレシに話します。

話すというか、それは本当に一方的で、

カレの意見とかが聞きたいということはあまりなく(失礼!)、

話しながら頭の中を整理したい。

 

それでクリアーにならなければ、ノートを出してきて、そこに浮かぶ言葉を吐き出してみる。

書くって、漠然としたものに方向性をつけてくれる力があると思うから、

まるで授業のノートみたいに、矢印とかアンダーラインとか使いながら、

自分の内側を言葉だけでなく図解してみようと試みます。

 

それでもすっきりしないときは、ジャッジメントをせず、

自分とは次元の違う考え方をもたらしてくれそうな人の意見を聞いてみる。

あとは、タロットカードや本などにもやもやの原因を尋ねてみることもよくします。

 

そのようにして”悶々要素”をできる限り言語化、素材集めをしたら、

気持ちいい場所を超ゆっくり散歩しながら、ずっと思考と向き合ってみることもします。

 

とにかく、ぼくの場合は、悶々をそのまま放置していられない性分なので、

バッティングセンターで解消! とか、そういう豪快な方法はとらないですね。

ただ、考えすぎちゃうとドツボにハマることがあるから、

そうした時は瞑想気分で、温泉とサウナに入りに行くこともある。

 

Q.

暇をもてあました野村さんの遊びは?

 

A.

”年収100万以下で楽しく暮らす方法”みたいなことが書かれていた、

30代前半の男性の本(タイトルまるで覚えていない)を以前に立ち読みした際に、

うん、うん、とすごく共感したのが、

お金よりも時間に重きをおく生活(生き方?)をするには、

「暇が苦じゃない」という性質が大事。というような意見でした。

 

ぼくはとにかく、本当に寝ることが好きで、

寝てる時間がもったいない、と思ったことがひょっとすると一度もないかもしれない、

というくらいに寝ることが好きなので、暇なら寝る。

昼寝って、昼にしかできないわけで、

いろんなことができる中、ゴロゴロ寝るを選ぶことに、ちょっとうっとりしてしまう私なのです。

ああ、最高に贅沢なことをしてるなー、って思える。

 

とはいっても、寝てばかりいると夜に眠れなくなったり、腰が痛くなったりするので、

昼寝は日常ではありません。

じゃあ、何をしているんだろう、暇をもてあましたとき。

あ。そして質問には”遊び”って書いてあった。

 

遊びとは違うのかもだけど、時間はあるけどやる気が出ないときにすごく良いのが、床掃除です。

ウェットティッシュみたいな床をふくやつを使い、雑巾掛けみたいなことをしていると、

まず体があたたかくなり、場合によっては汗がでて、

そうしているうちに、だるさも抜け、さらに目に見えて家の中が輝きだす。

一挙両得アクションです。

 

床磨きに限らず、掃除とか整理整頓は、よく言われることだけど、

本当に内側も整えてくれるように感じます。

その仕組みはわからないけど、単純に、

ストレスを感じるたとえば散らかった部屋にいると、

それに慣れて、意識的にはノーストレスだったとしても、

無意識レベルでは、きっと環境の乱れに疲れるのではないか、と思う。

 

その原理というかは、

ぼくの場合は、ネットとかで文章を読んでいるとけっこう誤字脱字が目に飛び込んでくるのですよね、

それは、探そうとしているわけではないけど、飛び込んでくる。キャッチしてしまう。

そういう、目の働き?と似ているのではないかと思う。

 

意識はしていなくても、実はキャッチしていて、そして無意識レベルでそれをあえてスルーする。

そのような、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対、

的なまどろこしいことを人は自然とやっている気がします。

その待機電力みたいな無駄エネルギーを減らすことで、

自分の”これ、したい”、”こうしたい”というソウルボイスが聞き取りやすくなるのだろうと思っています。

 

遊びは”遊び”だから無理してすることではないだろうと思うとき、

遊びの前に、遊び心が浮上する心身環境づくりが大切なんじゃないかな、と思います。

 

 

Tさん、すてきな質問をどうもありがとう! 

 


絵とことばとライブ的な何か

 

 

この言葉が「¥20,000」なのではありません。

27枚の絵のそれぞれに、タイトルとも違うこうしたことばをつけてみました。

 

21日のパーティー(15-21時)では、

友人のサックス奏者、大石将紀くんがやってきてくれ、

いっしょに、まさのりくんの演奏に合わせて絵を描くか、詩みたいなのを読むか、

なにかしようと、計画中です。

 

ぼくのアクションはひとまず、

彼の演奏が間近で聴けるのは、ほんとにラッキーなことだと思いますので、

ぜひ、いらしてくださいね。17時くらいからやる予定です。

 

MASANORI OISHI    http://www.m-oishi.com

 


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